まじかる科学探偵団

作者: Yuki Neco

第4章 光子がおとりに

昨晩、新しい音声が記録できたのでさくらと小狼は、その朝、解析で大忙しだった。 音声の周波数や波の形状を変換し、パソコンの画面で声紋を調べる作業を続けていた。 解析中の音声を再生すると、「この件から手を引け。 キミたちには関係のないことだ。」 と聞こえてくる。 解析の途中でさくらは小狼に、「なんか、魔法使いづらいね。」 と、不平をこぼした。
実は、解析に有賀光子が立ち会っていたからだ。

さくらと小狼は普段、調査室に人を入れないのだが、成り行き上、光子を入れることになったしまったのだ。 一時間ほど前、光子が桜狼探偵事務所に音声が入った新しいメモリスティックをもって駆け込んで来た。
「ゆうべ2回もヘンな電話があったから、メモリスティックに音声を入れてきたの。 ちょっと、これを解析して。」
「有賀さん、おはよう。 こっちもヘンな電話があったので音声解析の準備をしてたの。」
「ああ、犯人はボイスチェンジャを使って解析をしにくくしてるけど。」 小狼は両腕を組んだ姿勢で立っている。
光子に聞かせようと小狼は再生ボタンを押した。 ボイスレコーダから次の音声が聞こえてきた。

アリガミツコノ ケンカラ テヲ ヒケ。 キミタチニハ カンケイノ ナイ コトダ。 (犯人の声)
おまえは誰だ?! (小狼の声)
ヘンナコト スルナヨ。 ワレワレハ ダイガクデ ツネニ オマエラヲ ミテイルカラナ。 (犯人の声)

「音声が変えられているが、この音声で重要な情報が2つわかった。」 小狼はゆっくりと机の周りを歩きながら言った。 「一つは犯人が複数人いること。 二つ目は、犯人が学生または大学関係者である可能性が高いことだ。」
「さすが、小狼。」 さくらは、感心して首を縦に振っている。
「てゆーか、バカな犯人ね...」 光子はぼそりとつぶやいた。

「ところで、あたしもヘンな電話が2回あったの。 最初の電話は、音声が変えられてて、昨日、栗山大学で手に入れたものをもって午後5時にE棟の非常階段の下に来いと言ってた。 二回目の電話は...」 光子は恥ずかしそうに顔を赤らめ、黙ってしまった。
さくらはその表情の変化から心配し、光子の背中に手を置いて優しくささやいた。 「二回目に何か...? 犯人に何か言われたの? 無理して言わないでもいいから... ね。」
「二回目は... 音声を変えてなかった。 でも... 犯人が... イヤらしいことをささやくの... 息が荒くて...」
「二回目の電話は、本件には関係なさそうだな。」 小狼はいつもの口調で畳みかけるように結論を述べた。
「ちょっと、小狼! それはそうかもしれないけど、同じこと言うにしても、もっと言い方ってあるでしょ? 誰か知らない人からそんなイタズラ電話されて怖い思いしたに違いないんだから。」 と、さくらは、ヘンな行動する男性の存在を知っただけで恐怖を感じる女性の気持ちを男の人はまったくわかってくれないと、憤慨した気持ちで小狼に抗議した。
「わかった。 わかった。 俺が悪かったよ。」
光子は気分を落ち着かせようと深呼吸をして、前に三歩、後ろに三歩だけ歩いてから話し始めた。
「それじゃ、音声解析をしましょう。 このまま仕返しもせず、やられてだけじゃイヤだもの。」
「有賀さんも、音声解析に加わるってこと?」 さくらは光子に訊き返した。
「そうよ。 音声解析は物理学の応用よ。 あたしも力を貸せると思うの。」 と、光子はしっかりとした目つきで答えた。
さくらと小狼は答えに困り、顔を見合わせた。 なにしろ、彼らの解析にはさくらカードの魔法を使うのだから。 小狼がさくらに耳打ちする。
「さくら、こいつに見られずに魔法って使えるか?」
「う〜ん... ちょっとやってみる。」 さくらは目を細めて答えた。
このような成り行きで、有賀光子が調査室に入って解析に立ち会っていたのだった。

音声解析の場合、さくらはボイスとウェーブのカードを使っていた。 ボイスのカードは音声の周波数や変調を変え、変換された音声を聞かせてくれるのだ。 ウェーブのカードは不必要な成分を取り除き、抽出したい成分を強調することができる。 さくらが使いたいカードの名前を考えると、カードが自ら飛び出し、ポケットの出口で待ち構えていた指がそのカードをはじくと、カードの魔力が発動する仕掛けだ。 カードキャプターになったばかりのころ、さくらは封印の杖でカードをたたいて魔法を使っていたが、今では、魔力が強くなり、指ではじく程度でもカードを使えるように成長していた。

それから、解析のツールがもう一つあった。 それは、小狼の小学校からの親友の山崎貴史が作った解析ソフトウェアだ。 山崎の解析ソフトウェアは、画像の模様とか、音声のパターンを照合するプログラムである。 桜狼探偵事務所の調査とは、さくらカードの魔力と山崎の解析ソフトによって支えられていた。

「わかったぞ。 昨夜、事務所にかかった脅迫電話と有賀に直接かかった脅迫電話の音声が同一人物の声とわかった。 ほら、声紋が完全に一致している。」 小狼は、画面を指差した。
「それじゃ、数日前にあたしを襲った人たちの声はどう?」
「それもさっき解析したんだけど、声紋が一致しなかったの。」 と、さくらが答えた。
「しかも、2人の声はあまり抑揚がない平坦なしゃべり方だ。 どこかの地方の訛りなのか...」
「そうなの? ところで、昨晩の脅迫電話の声を変換した結果を聞かせてくれません?」
さくらは、ひそかにボイスのカードを召還して、音声を再生した。
「これって、最適な周波数で変換かけたの?」 二十歳の依頼者は再確認のため尋ねた。
「ええ、他の周波数でも変換したんだけど、音が崩れちゃうの。 このあたりの周波数が最適かと。」
「ところで、なんでこいつ、俺たちより1学年下なのに、タメ口で、しかも場を仕切ってるんだよ。」 小狼は気に入らない様子でさくらに耳打ちした。
「そんなこといいじゃない。 有賀さんは物理学の秀才よ。 解析の指示も的確だと思うわ。」
「ふん、そうか。」
光子は親指と人差し指を下あごに当て、注意深く変換された音声を聞いていた。
「この声って、大学の誰かの声に似ているような気がするんだけど、はっきりわからないわね。」

「ところで、犯人は午後5時までにE棟の非常階段の下にもって来いといってたな。」 小狼は話題を変えた。 「これは容疑者特定のチャンスかもしれない。」
「って、何を考えてるの?」 さくらが尋ねた。
「有賀、犯人が言っていたように午後5時までに非常階段の下に立っていてくれ。 カバンを持ってだ。 SDカードは入れないで。」
「ちょっと、彼女をおとりに使うつもり?」 さくらは息を飲んで、小狼の肩を揺すった。
「当然だ。 これはチャンスなんだ。」 小狼は、表情を変えずに答えると、計画を話し始めた。 「俺たちはそばの植え込みに隠れてタイミングを待つ。 犯人はカバンを奪う前に有賀を攻撃するはずだ。 犯人が現れた瞬間、俺たちが飛び出して犯人を捕まえる。」
「それで、訊いていいですか?」 心配そうな表情で光子が話す。 「植え込みの陰に隠れてって、それであたしに危害がないように守れるの?」
「心配するな。 できる限りのことはする。」 小狼は率直に答えた。
「それじゃ、答えになってない。」 彼女は小狼に詰め寄った。 「間違いなく、あたしを守れるのかって訊いてるのよ。」
小狼に代わってさくらが答えた。 「心配しないで。 そんな場合にでも対応できる能力をあたしたちは持っているから。」
さくらは小狼のすぐそばに回り、耳元でささやいた。 「離れた場所から守るなんて、魔法使わないと無理じゃない。」
「必要なら魔法を使うさ。」



さくらと小狼は分かれて他の情報収集に入った。 光子はさくらに同行して超常現象研究会を訪れた。 その研究会はその年の春、藤崎徹が設立したサークルである。 研究会に着くと、ボブカットで眼鏡をかけた女子学生が応対してくれた。

「あれ? 奈緒子ちゃんじゃない?!」
「さくらちゃん! うわぁ、こんなところ出会えるなんて思わなかったよ。 さくらちゃん、背が伸びたね。」
その女子学生は、小学生の頃のさくらの友達の柳沢奈緒子だった。彼女は宇宙人とか幽霊とか超能力とか、とにかく不思議なことが大好きだった。 そんな彼女が超常現象研究会にいることはごく自然なことに思える。
「あれ... あなた、有賀光子さんね!」 奈緒子は、光子に対しても感動の声を上げた。

光子とさくらは部屋に案内された。 部屋にはいくつかの書棚と計測器棚があった。 書棚には、物理学、化学、無線工学、超常現象の書籍であふれていた。 計測器棚には計測器がきれいに配置されていた。
「オシロスコープ、スペクトラム解析器、信号発生器...」 さくらは心の中で計測器の名前を唱えていた。 兄が計測器会社の技術営業をしているおかげで、さくらは少しだけ、計測器のことを知っていた。
「いま、研究会ではポルターガイストの電磁界への影響を調べているの。」 奈緒子は楽しそうに説明した。
「これが、オーラ検出器。」 奈緒子は机に置かれたスペクトラム解析器を指差した。
「この機械がオーラとかポルターガイストを見つけるんですか?」 光子は人差し指をあご先に当てて質問した。
「藤崎さんが言うには、霊魂って電磁波と関係があるらしいの。 だから、この計測器でポルターガイストがわかるはずだって。」
「ここに他の部員はいるの?」 さくらは割り込むように質問した。
「さくらちゃん、ごめんなさい... その、今は誰もいないの。 誰かほかに会いたい人がいた?」
「ううん、訊いただけ。 ありがと。」
ヘンだなぁ。 他に人がいる気がしたんだけど... はっきりしないけど、二人どこかに隠れているみたいな。 奈緒子ちゃんは知らないのかな。
「え?」 光子はさくらが考え事をしているのに気づいたが、なにに引っかかっているかは知る由もなかった。

超常現象研究会から出たところで、ちょうど研究会に来た徹に会った。
「あ、有賀さん。 来てくれたんだ。 いなくてごめん。」
「大丈夫。 柳沢さんにクラブの紹介してもらったから。」
「そうなんだ。 ほかの部員には会ったかい?」
「いえ、柳沢さんしかいなかったの。」
「そうか。」
光子とさくらがその場を離れようとすると、再び徹が話しかけてきた。
「超常現象について、物理学の観点から有賀さんの意見を聞きたいな。」
「ごめんなさい、もう行かないといけないの。」
「じゃ、また日を改めて。」と言って、徹は微笑んだ。



おとりになる時間がやってきた。 光子は4時40分にE棟の非常階段の下に到着した。 あらかじめ小狼に言われたように、SDカードが入っていないカバンを持っている。 さくらと小狼は近くの植え込みに隠れているはずだが、光子はその位置を知らされていなかった。 奇妙に聞こえるかもしれないが、光子に隠れ場所を教えておくと、光子の視線から犯人が待ち伏せされていることに気づくかもしれないという小狼の考えからだった。非常口のドアに背を向けて、光子は不安を感じずにいられなかった。

こんな計画うまくいくのかなぁ? 犯人はあたしを見て何をしてくるのだろう? カバンを奪うために、あたしを殴り倒す? それとも突き飛ばす? カバンだけでなく、あたしも連れて行かれるとか? あの二人はあたしをちゃんと守ってくれるのだろうか? すぐそばにいるように思えない。 じゃ、どうやって守ってくれるの? そもそも、なんであたしがおとりなのよ? こんなの、かわいい女の子にやらせることじゃないわ。 土曜ワイド劇場の松下由樹のように、「わたし、おとりになります。」 なんて、実際できるわけないのよ。

時間が過ぎても犯人は現れない。 既に時刻は5時15分になっていた。 小狼とさくらはそのかわいいおとりから15メートルの植え込みに隠れていた。
「遅い。 何かヘンだ。」 小狼は腕時計を見ながらつぶやいた。
「ここに隠れていることを気づかれたのかなぁ。」

同じように、そのかわいいおとりはイラついた様子で腕時計を見ていた。 ちょうどその時、光子の背中と後頭部でドスっと鈍い音がして、光子は地面に倒れた。
「雷帝招来!」
「ウィンディ!」
反射的に、隠れていた二人の魔法使いは、それぞれに、魔法を召還して襲ってきた人物を攻撃した。 雷撃がその人物を襲い、突風が巻き上げた。 その人物は気を失った。
「あいたた...」 光子は後頭部を押さえて上体を起こして座り込んだ。
さくらと小狼がすぐに走ってきた。 「大丈夫?」
「ええ、なんとか。 それで、これが今まで嫌がらせをしてきた人?」
「そうだ。 顔を見よう。」
気を失った人物を小狼が仰向けひっくり返すと、光子は驚いて声を上げた。
「そんなバカな... 松崎先生だなんて!」
さくらもこの予期しなかった結果に固唾をのみ、「現実は小説より奇なりか。 有賀教授の助手だったというのに、なぜこんなことを...」と言葉を漏らした。
ちょうどその時、松崎憲次が意識を戻した。
「な、何が起きたんだ? おい、キミたち、これは何の冗談だ?!」 松崎は大声で怒った。
「松崎先生... ごめんなさい... あの...」 光子はボキャブラリーを探してみたが適切な言葉が思い当たらない。
「桜狼探偵事務所です。」 小狼が先頭に歩み出た。 「有賀光子に嫌がらせをが続いている件について調査をしてきました。」
小狼とさくらは、犯人が有賀教授の研究を狙っていること、そして、有賀教授から受け取ったSDカードを犯人が手に入れるため光子が呼び出されたことを説明した。
「それで、私が有賀さんに嫌がらせをした犯人だと思い、私に襲いかかったわけか。」 松崎はまだ、自分が受けた扱いに納得できていない。 「ところで、二人とも、そばにいたわけでなかったみたいだが、どうやって私を気絶させたんだ。」
「そ、それは... 彼はカンフーの使い手で、あたしは合気道の有段者なので...」 と、さくらは引きつった笑いをしながら、その質問を切り抜けた。
小狼は黙って、首を縦に振っている。
松崎は、二人が犯人の攻撃と思い込んだ出来事について説明した。
「まあ、聞きなさい。 誓って言うけど、有賀さんを攻撃などしていない。 自動販売機でジュースを買おうと思って、非常口から外に出ただけだ。 まさか、ドアのすぐ外に有賀さんが立っているなんて誰が想像できるかい?」
松崎の説明によると、松崎が校舎の外に出ようとして外側で光子がカバンを持って犯人を待っている鉄製のドアを開けたのだ。 ドアが開き、ドアノブが光子の脊髄に命中し、続いてドアの鉄板が後頭部に襲い掛かったということだ。 最終的に前方に押し出され、光子は地面に倒れ込んだ。さくらと小狼はその一連の動きを見て、犯人の襲撃と勘違いしたのだ。
「だいたい、なんで私が有賀先生の研究を狙うんだ?」 松崎はまだ怒っていた。
「松崎先生が犯人でないと思ってたんですが... すみません。」 と光子は謝った。
「いや、まだその証拠がないから、安心できない。」 と小狼はぶっきらぼうに言った。
「このガキは...」

まさにその時、遠くから何かが光子に向かって投げられた。
「ウィンディ!」 気づいたさくらはウィンディを使って、飛んでくるものの軌跡を曲げようとしたが、少し遅かった。 軌跡は少しだけ曲がったものの、飛来してきた何かは光子の後頭部でゴツっと鈍い音を立てた。 光子はうつ伏せで倒れ、意識を失った。
「うわ、どうしよう! どうしよう?! ウィンディなんか使うんじゃなかった!」
「ウィンディ使わなかったら、頭には当たらなかっただろうな。」
「え〜っ、どうしよう?! どうしよう?!」
「さくら、どんなに悪いと思っても、謝るんじゃないぞ。」 と小狼が言った。
「どうしてよ?」
「ごめんなさいなんて言ったら、魔法使ったこと説明しないといけないじゃないか。 どっちを選ぶ?」 小狼の答えは冷ややかだ。
「あぁ... ごめんなさい、有賀さん。」 さくらはさめざめと泣いた。
約1分後、光子はうめき声を上げながら、意識を取り戻した。 「なんであたしが...」
投げつけられたものは石を包んだ紙だった。 松崎は紙を開いて、書かれたメッセージを読むと、静かに笑った。 「このメッセージで私の無罪が証明された。」
紙には次のメッセージが書かれていた。

桜狼探偵事務所か。 我々をみくびるな。
空っぽのカバンに引っかかると思ったか。 許さんぞ。

「あぁ、犯人さん、ありがとうございます。」
「ところで、この石はどこから投げつけられたの?」 光子は怒っている。
「多分、むこうの植え込みからだ。」 小狼は30メートル先を指差した。
「ということは...」 光子はヒステリックになって地面に方程式をいくつも書きなぐり、何かを計算した。
「きぃ〜、あたしの頭に少なくとも8.7ジュールの衝撃を与えたってことね! 許さないわよ!」
「あの、有賀さんって美人だけど、意外と面白い人だね...」 さくらはつぶやいた。
「そもそも、8.7ジュールって大きいのかよくわからないし...」 小狼は皮肉っぽく言った。

その時、松崎憲次は、決心した表情をして小狼のそばに歩いていった。
「有賀先生のかつての助手として、この調査、私も協力させてくれ。 本当に有賀先生の研究を狙っているとしたら、そんな学者がいたとしたら、それは許される行為ではない。」
松崎憲次は小狼に手を差し出した。
「ああ。」
小狼も松崎の決心に答え手を差し出し、二人は協力を誓って握手をした。



その夜、学生探偵の二人と、光子、松崎は調査で得られた情報を整理していた。 さくらは光子を休憩に誘い出し、調査室を出た。 二人は階段を上って校舎の屋上に出た。
「あぁ、風が涼しくて気持ちいいね。」 さくらが話し始めた。
「実は、有賀さんと二人でお話がしたいと思ってたの。」
「え?」
「あたしのお父さんも大学教授なんだ。 考古学者だけど、いつも研究とか論文とか発掘とかで忙しいうの。」 さくらはため息をつきながら笑った。「でも、いいお父さんだよ。 料理や裁縫とか何でもできるの。」
「お父さんが好きなのね。」
「ええ、そうよ。 光子さんって呼んでいい?」
「あ、はい。」
「光子さんはお父さんが好き?」
「ええ、好きよ。 木之本さんと同じように、論文や、学会、テレビ出演でいつも忙しいの。 違うところは... 家のことは何もしないこと。 家事はお母さんや家政婦の人がするの。」
「お母さんか... いいな。 あたしのお母さんは、まだ3歳だった頃に亡くなったのよ。」 と、さくらは小さい声で言った。
「ごめんなさい。 あたし、知らなくて。」
「ううん、いいの。 お母さんは、お父さんやあたしたちと暮らしてとても幸せだったんだって。」 さくらは屋上から遠くに見える繁華街の明かりを眺めながら言った。 「さくらって名前はね、お母さんがつけてくれたの。 お母さんは桜の花が大好きだったんだって。」
「いい話ね。」 さくらの横顔を見ながら光子は返事をした。 「あたしの名前はお父さんが付けたの。 でも、子がつく名前なんて、おばあちゃんの名前みたいでしょ?」
「それを言ったら、あたしの名前だって、子がつかなくてもおばあちゃんの名前みたい。 その名前に特別な意味があるの?」
光子はしばらく考えて、恥ずかしそうにさくらの耳元でささやいた。 その話を聞きながら、さくらはうなずいて微笑んだ。
「いい名前じゃない。 自信を持つべきよ。」

「松崎先生ってカッコいいね。 ひょっとして、先生が好きなんじゃない?」
さくらが質問すると、光子はすぐに赤くなった。 照れ隠しに、光子は淡色の長い髪を指でいじり始め、話した。 「あたしが松崎先生について知ってることは、お父さんの助手だった人で、優しくて、サッカーをしてたってことだけ。 あたしが14歳のときに始めて会って... お父さんの大学の大学祭に来たついでに研修室に寄ったときなの。 先生はあたしより12歳も年上なのにね。」
「まだ告白してないんでしょ?」
光子は声に出さず、首を横に振った。
「いつの日か、自分のタイミングで、先生に対する正直な気持ちを打ち明けられるといいね。」 さくらは優しくささやいた。
「ありがとう。」 光子はうつむき加減に、しかし、口角を上げて言った。
「ところで、李小狼さんって木之本さんのカレシ? なんか不器用でまじめな感じ。」
さくらは後ろ腕に手を組んで、ストレッチをした後、くすくす笑いながら話した。 「やさしくて、頼りになる人よ。 小学生の頃から知ってて、カレシかと言われると... そういうことになるかもね。 もう付き合いが長いから、とても大切な人って存在ね。」
屋上の手すりにひじを置き、頬づえをついて光子は微笑みながら遠くを見ている。 「彼と一緒にいると幸せなんですね。」

「ところで、李小狼さんも同じような特殊な力があるの?」 光子は話題を変えた。
「な、何の話?」
「よくわからないんだけど、遠くから松崎先生を気絶させた力。実は、超常現象研究会で面白いものを見たんです。 あのオーラの強さを測る測定器...」
「あれはただのスペクトラム解析器よ。 普通の研究機関においてある装置なの。 お兄ちゃんが計測器会社の技術営業だからちょっと知ってるの。」
「そうですけど、彼らがオーラ検出器と言っているあれが、研究会に行ったときに電源が入ってた。 面白いことに、木之本さんが考え事をしていたときに、何かのスペクトラムが画面に出てきたの。」
超常現象研究会で怪しい気配を感じて、それを探ろうとした時のことだ。
「それは... その...」
「ごめんなさい、木之本さん。 決して困らせようと思ったんじゃないの。 木之本さんが特別な力を持っていてもいなくても、そんなことあたしには関係ないから。だから超常現象研究会で見たことは誰にも言いません。」
さくらはは瞬きをせずに聞いている。
「まだ見習いレベルかもしれないけど、あたしは科学者です。 木之本さんがどんな力をもった人かはまったく興味ないから、それを暴く気は ありません。でも、その力が科学的に何かは興味があります。 いつの日か、科学の力でその不思議な力が解明できるといい、いや、 あたしが解明したい。そう思っていたりします。」
「光子さんって本当に面白い人ね。」さくらはくすくす笑った。
二人の女子学生は、さらに10分ほど、空を見上げながら話をし、 その後、一緒に調査室に戻っていった。

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