作者: Yuki Neco
翌朝、光子は学生二人が運営する探偵事務所を訪れるため緑ヶ丘大学に来ていた。 大道寺知世が彼女のために午前10時に約束をしてくれたのだが、知世は他の予定があるため同行できなかった。 学生が運営する探偵事務所は校舎の中に部屋が与えられていた。 その探偵事務所が学校から認知されている証だと光子は感じた。 探偵事務所のドアには、「桜狼探偵事務所」と書かれていた。ドアをノックすると、入るようにと言う男性の声が部屋の中から聞こえてきた。
部屋の中にいたのは、身長175センチくらいで、シャツとジーンズを着た男性だった。 シャツの第2ボタンまでは外したままの格好だ。
「有賀光子さん?」 その茶色の髪で琥珀色の瞳の男性が尋ねてきた。
「はい、こんにちは。 大道寺知世さんは高校時代からの知り合いで。」 淡い栗色の髪の女子学生は答えた。
「はじめまして。 李小狼です。 この探偵事務所は僕と、木之本桜の二名で運営しています。 さくらは二、三分で来るでしょう。 ま、有賀さん、座ってください。」小狼は机の向かい側の席に座るように合図した。
「あ、ありがとうございます。」
「本題に入る前に、わが探偵事務所のポリシーを説明しておきます。 ポリシーに賛同できない場合、キャンセルしても構いません。」 小狼は事務的に話し始めた。
「はい、どうぞ。」 光子は、小狼をまっすぐ見た。
「桜狼探偵事務所は科学的証拠に基づいて事実を調査解明します。 本探偵事務所は警察ではありません。 したがって、調査案件が刑事事件であると判明しても犯人を逮捕することはできません。 その場合、必要に応じて依頼者が調査案件を警察に通報しても構いません。 本探偵事務所から提出させていただくものは、調査によって明らかになった事実です。 その事実がたとえ依頼者の不利益になったとしても、本探偵事務所は事実の改ざん、または、隠蔽をしません。」 小狼はゆっくりと言葉を運び、光子の反応を見ながら説明した。
「見かけはカッコいいけど、ちょっと真面目すぎるわね。」 ポリシーの説明を聞きながら光子はある種の退屈さを感じていた。
「質問はありますか?」
「えっと... ひとつだけ。 探偵事務所が警察でないというのはわかりましたけど... 調査過程であたしが危険な目にあった場合、その危険から守ってもらえますか?」
「その点についてはご安心を。 われわれ二人とも、あなたを危険から守る十分な能力をもっている。」
ちょうどそのとき、ドアが急に開き、「遅くなりました。」と声が聞こえた。
もう一人の運営者、木之本桜だった。 さくらははちみつ色の髪の毛を襟先で切りそろえ、前髪を左右に分け、耳元に流す髪形をした女子学生である。 身長163センチくらいで、ジーンズの上からグレイのワンピースを重ね着した活発そうな女性だった。
「さくら、また遅刻か。 こちらは、依頼者の有賀光子さんだ。」 小狼は机の向かいに座っている女子学生を紹介した。
「はじめまして。」 と言ったものの、さくらは言葉を詰まらせた。 「ごめんなさい... きれいな方なのでちょっと緊張しちゃって... あ、あたしなに言ってるんだろう。」
「そんな。」 光子は微笑みつつも、心の中できれいと言われたことをしっかりと喜んでいた。
「あたしたちは小学校のときから知世ちゃんと仲良しだったんです。 有賀さんは高校時代からなんですね。」
「はい、困ったことがあったら木之本さんたちを尋ねるといいって聞いていました。」
「最近は、有賀さんのような関係もない女性に手紙を送ったり、脅迫したりする悪い人たちがいますよね。」 さくらは光子の状況に同調するように話した。 「あたしたちはそのようなよくない人を特定する技術ももってるんですよ。」
「技術というと、どのような? 科学捜査?」
「実績のあるところでは、指紋照合、声紋照合、といった捜査だ。」
「すごい。」 光子は驚いて声を上げた。
「でも、どうやって? そういう捜査をする装置がここにはあるんですか?」
「ここから先は秘密の領域になる。 お答えできないので失礼。」 と小狼は軽く頭を下げた。
「ところで、有賀さんって、知世ちゃんの親友なんですか?」 興味ありそうにさくらが質問する。 「知世ちゃんとあたしは高校のときから違う学校に通っていたから、あたしも知世ちゃんも違うお友達がいても不思議でないけど、でも小学生からずっととても仲良くしてた友達だから、今はどんな子が知世ちゃんの親友なのかってとても興味あるんです。」
「大道寺さんにはいつもよくしてもらっています。」
「知世ちゃんって有賀さんをビデオ撮影したりするんですか?」
「はい、大学祭とか、誕生日とかでビデオ撮影してくれます。」
「あの、聞きにくいことなんですけど、ひょっとして、お洋服を作ってくれたりとかは?」 と、さくらは恥ずかしそうに訊いた。
「お洋服? あ、時々、ピンクのフリルがついていて、猫の耳がついた服を着てみないかといってきます。」 光子はくすくすと笑った。 「でも、恥ずかしいから着るのは断りました。」
「そうなんだ。 断ってもよかったんだ...」 さくらは悲しそうにつぶやいた。
「案外、大道寺がそのストーカーだったりして。」小狼は冗談っぽく笑った。
木之本桜と李小狼は緑ヶ丘大学の学生である。 さくらは父親の専門である考古学を、小狼は物理学を勉強している。 実は、二人とも強力な魔法使いである。 さくらは、古 (いにしえ) の魔法のカードであるクロウカードを引き継ぎ、それを変換したさくらカードを操る魔法使いだった。 さくらカードは全部で53枚のカードから成り、それぞれが個別に魔力をもっている。 一方、小狼は香港の魔道士の家系に生まれた魔法使いである。 彼は代々伝わる魔法を操る強力な魔力をもっている。 もともと、小狼はさくらよりも先にカードを集めるために現れた。 しかし、カード集めを続けるうちに二人は仲良くなり、今ではさくらがクロウカードの主として認知され、それをさくらカードに変換してしまった。 それは、彼らが11歳の頃の出来事だった。 カード集めをしている頃、いたずら好きのクロウカードから町を守るという使命でエキサイティングな日々を送っていた。 カードをすべて手にした今となっては、さくらと小狼は、魔法を人々のために役立てようと考え、それで探偵事務所を設立したのだった。 二人は魔法を捜査のために使うのだ。 その一つの例が、先ほどの光子の案件でさくらが実行した手法である。 さくらはサンダーのカードを使って、紙切れに残った皮脂を帯電させ、トナーを吹きつけ... すると紙の上に指紋が浮かび上がるのだ。 浮かび上がった指紋は、小狼の親友がプログラムした画像処理ソフトウェアで照合する。 そのソフトウェアには山崎貴史という名が見える。
「ねえ、小狼、星和大学にいって有賀さんの周辺を調べましょう。」
「そうだな。 情報集めだ。 この事件が本当に有賀のお父さんに関係しているかわからない。 また、有賀自身が危険を呼び寄せている可能性もある。 例えば、過去の恋愛関係などで彼女に恨みを抱いている者がいるとか。」
掲示板の前を通り過ぎるとき、光子は松崎助教授のオフィスに光子を呼び出すメッセージを発見した。
「ヘンだな? 昨日、行ったばかりなのに、今度は何の用かしら?」
光子はよくわからないという表情をして首を傾けた。 呼び出される理由に見当がないが、光子は松崎助教授のオフィスに向かって歩き始めた。
「ひょっとすると、先生はお父さんの居場所に関する情報を見つけたのかもしれない。」 と、光子は思った。
物理学科の校舎に入ろうとした時、突然、何者かが光子を植え込みの影に引っ張った。
「きゃ...!」
襲ってきたのは二人。 その一人は背後から光子を押さえていた。 もう一人は植え込みの向こうの周囲を見張っていた。
「有賀教授から何か渡されていないか?」 緊張しているが抑揚のない口調で背後の男は訊いてきた。
「ちょっと、なんなんですか?!」
「大声出すと、ただじゃおかねえぞ。」
光子が右手をポケットに入れると、背後から抑えている男はそれを見逃さなかった。
「お前、何か隠してるな?」
「やめてよ。 あたしを誰だと思ってんの?」
その時、見張り役の男がせかす。 「時間がねえぞ。 車に運べ!」
「はいよ。」 もう一人の男が光子を引きずって行こうとする。
「こら、誰かいるのか? そこで何やってるんだ?!」
その時、30メートル先で声がして、足音が近づいてきた。 助けがきた。 二人の悪人は彼女から何も奪わずに逃げた。 光子は深くため息をつくと、茂みの陰で座り込んだ。 助かったと思った瞬間、光子の眼から涙がこぼれる。助けてくれた人は、顔をのぞかせ、茂みの影を確認した。 それは、黒髪を丁寧に分けた男子学生だった。
「大丈夫?」 心配した表情で聞きながら、助け起こそうと腕を差し出した。
「大丈夫です。」 光子は差し出された手をとって立ち上がり、涙をぬぐいながら、茂みの向こうから歩いて出てきた。
「あ、有賀光子さんだよね。」 その男子学生は彼女の名を口にした。
「あたしの名前をどうして?」
「だって、物理学部の同じクラスだから。」 彼は笑った。
「あら、ごめんなさい。」 恥ずかしげに光子は赤くなった。
「別にいいよ。 クラスは80人もいるし、有賀さんのことはみんな知ってる。 クラスに女子は少ないし、それに...」
「それに?」
「有賀さんが、あのアインシュタイン理論や量子論の入門書を書いた有賀先生の娘さんだから。 僕の名前を言っておかなきゃ。 藤崎徹です。」
「そうだ、松崎先生のオフィスに行く途中だったの。」 光子は高い声を上げ、掲示板に張っていたメッセージを徹に見せた。
「有賀さん、これは偽物だよ。」
「どういうこと?」
「松崎先生の伝言はいつも手書きだ。 でも、これはワープロで打ったもの。 これは犯人が用意したもので、これを使って君をここにおびき出して襲ったんだ。」
「本当に?」
「セミナーの連絡、レポート再提出者の連絡はみんな手書きだったよ。」
「そうなんだ... 藤崎君が来てくれなかったら、あたし誘拐されていたのね。ありがとう。」
気丈に振る舞っているが、やはり怖かったのだ。先ほどのことを思い出すと、光子は震え、涙が込み上げてくる。
ケータイを取り出してボディガードを呼び出そうとした時、徹が話しかけてきた。 「時間があったら来てみない? 有賀さんに見せたいものがあるんだ。」
「見せたいものって?」 なかば信用できない表情で光子が訊く。
「超常現象研究会さ。 最近設立したんだ。 UFOとか超能力とか、超常現象にはすごく興味があって、そんな不思議な現象はきっと物理学の理論と関係があると思っている。」
徹と光子は歩き始めた。歩きながら、徹は活動内容を説明していた。 三分ほど歩いたとき、女性の声が聞こえてきた。
「徹、その女は誰?!」
走り寄って来た女性は怒ったような表情をしていた。 彼女は、炎のような琥珀色の巻き毛で、釣り上がった目をしている。 少女マンガに登場する意地悪キャラというのが適切な表現だろう。
「わたし以外の女性と並んで歩くとはどういうつもり?」
挑発的な女子学生が相手を見定めようと光子の顔を覗き込んだとき、二人の女子学生は同時に驚きの声を上げた。
「有賀光子!」
「小笠原美澄!」
次の瞬間、小笠原美澄の攻撃の先は徹から光子に移った。
「あら、有賀さん。 相変わらず、人のカレシに手を出す悪いクセは直ってないようね。 徹はわたしのカレシなのよ。 また、カレシを奪おうとしているなんて。」
「またってどういう意味よ?!」
「忘れましたの? 三年前のことですわ。」
「それは小笠原美澄さんの勘違いですわ。」
しかし、ちょうどのその時、大道寺知世が走ってきた。 「有賀さん、こんなところで何なさってるんです? ボディガードが電話で、有賀さんが一人で大学には行ったきり1時間も出てこないと伝えてきました。 心配してましたわ。 危険な状態かもしれないのに、有賀さん、こっちに来なさい。」
光子と美澄が激しくにらみ合いを続けているのも気にせず、知世は光子を引きずってその場を離れた。