お姫様の帰還

作者: deko

第6話: 統べざかれる人々

香港、夜の李家の屋敷、中庭には静かな時間が流れていた。 女主人は、お茶を楽しみながら、相席でトグロを巻いている老人に微笑んだ。

外祖「夜蘭様。今宵はことのほかお美しい。」

彼はほろ酔い気分で、ぼんやりした視線を女主人に返した。 その女主人が、お代わりの茶を淹れようとした時、出し抜けに手が止まった。

夜蘭「無礼な!こんなところにまでやってくるとは!

外祖「まったくでございます。」

老人はしっかりした物腰で立ち、女主人を守るように身構えた。 同時に、屋敷に向かって天空から輝く光の玉が飛び込んできた。 そして地面に接触する寸前、その光は空中で五つに分裂し、四つは母屋のほうに走った。

夜蘭「招かざる客にしては、ずいぶんと横柄な所業ですね。至上よ!」

残った光は地上に降りたつや、人の形に変わった。

外祖「やはり...」

至上「ほほう。腰抜け爺はこの時代に居ついたのか?」

夜蘭「外祖殿は敬うべきご老体。度重なる無礼は許しません!」  

至上と呼ばれた人物は羊の毛で作られた服を纏い、 まるで、初期キリスト教修道僧のような姿で、李家の女主人の前に現れた。 そこへ、母屋のほうから娘たちの悲鳴が伝わってきた。

至上「お嬢様方には、手出しをされていただきたくありません。どうかお許しを。 夜蘭様。」


東京都 港区の竹芝桟橋、公園前派出所では、 年配の巡査と吉田達明が話し込んでいた。

達明「じゃから、わしは誘拐なんぞしておらん。 あの子がいつの間にか入り込んでいたのじゃ」

巡査「服はボロボロで髪はボサボサ。 ああ、あんたは子どもには優しいからな。あんな変な格好をさせるわけがない」

一閃、達明の拳骨が炸裂した。

巡査「達さん!」

達明「言葉を慎まんか! 小さなレディに悪口は禁物じゃ」

これでは、尋問なのか事情徴収か、ましてや世間話にも当てはまらない。 そこへ、派出所の奥の方から若い女性の声がした。

婦警「あの〜〜。出来ました。」

奥から、女の子が婦警と現れた。 男二人は、驚きの表情を浮かべた。

婦警「着ていた服は捨てさせました。 なんでも、お知り合いの女性に作っていただいたそうですが」

淡いピンクを基調とした服は、ホープの背丈に似合い、何よりも清潔で可愛らしく映る。

婦警「髪は長すぎました。この3ヶ月ほど切らなかったらしいです。 前に住んでいたところで切ってもらったのが最後だそうです」

達明「うむうむ。オカッパ頭が一番じゃ。」

巡査「古いねえ!三つ編みなんか、イケテルと思わなかった?達さん。」

だが、ホープは大人たちには何の感情も見せずに スタスタと歩き出し、そのまま反対側のゲート下にある、 達明の段ボールハウスに入ってしまった。


友枝町の吉田コンサルタント二階にある和美の部屋。 だが、先日までの陰気な雰囲気はなく、大きなモニターは少女の視線を吸い寄せていた。

擬音「ヤハリ... オカシイ。」

彼女の前のモニターは、複雑な線を次々に映し出していた。

男の声「どうしてだい?和美ちゃん」

和美の前に、若い男がいた。

擬音「アッ...... イタガキサン」

ベッドの女の子は、頬を真っ赤に染めた。

板垣「そこの公図は役所から渡されたモノだけど。何か問題でもあるのかな」

擬音「ア... アノ......」

板垣「落ち着いて。」

若い技術者が、和美の頬を撫でると彼女は甘えるように頷いた。

擬音「ハイ... ココト... ココノ タカサガ... チガウンデス」

板垣「何だって!」

モニターではカーソルが二カ所、停止して線が結ばれた。  すると、コマンドが働き、折れ線グラフが小ウィンドウに表示された。

和美「ヤマザキサン... ノ ズデハ... タダシイト オモイマス... デモ... コレハ」

板垣は舌を巻いた。訓練された技術者でも、 地図の立体的な位置関係の把握は配置は難しい。それなのに、この少女は苦もなく思い浮べることが出来るのだ。 

板垣「逆... 勾配だね。でも、どうして君はそれに気づいたんだい?」

擬音「テンプサレテイタ オソラ カラノ... シャシンデ」 

板垣「違うだろう。君のお爺さんは役所からの図面に基づいて、友枝丘陵の水路計画を策定した。でも、準備段階でその図の誤りに気づいたんだ。そして、君もあそこにいた。あの豪雨の中で一緒にいたんだ。」

擬音「ハイ... アタシ ミタンデス... タクサン ノ ミズ ガ...」

板垣は、モニターを操作した。すると、画面に写真が表示された。    

板垣「工事計画は提出され、工事は始まっている。 君の乗った車が押し流されたすぐ上だ!」

そこへ、和美の母が夕食のトレイを運んできた。 彼女は娘と若い技術者の姿を見て、微笑んだ。

板垣「今から測ってくる!君は今の調子で、図を作っておくんだ。」

擬音「ハイ。 キヲツケテ」

母親は、娘が顔を真っ赤に染めて頷くのを見守った。娘は、恋をしている! 本来ならば、娘の成長を彼女は大いに歓迎したかった。 だが、目の前の図が彼女を黙らせてしまった。


竹芝桟橋の達明のハウスの周囲で、 昼食の時間なのか、外の公園ではサラリーマンやOLが昼食の 包みをあちこちで開けている。

OL 「ねえ、あのホームレスさんの家にいた子、見た?」

OL 「うん。可愛い子なんだけど、暗そうだったわねえ」

そんな会話が流れてきているのだが、ホープは呆けたように新聞紙の床に寝そべり、視点の定まらない目を行き交う人たちに向けていた。

季節は春の終わりを告げ、夏服の子供たちが、入港してくる連絡船のほうに走っていった。 その彼女の隣には仔猫が寝そべっていたが、今は何の気にもならないらしい。 ボンヤリと外を見る女の子は、何もかも忘れ表情がなかった。が、それでもお腹の虫は鳴く。

達明「さあ、お食べ」

達明が、湯気の立つカップラーメンを持ってきた。どうやら、 派出所の巡査の差し入れらしい。 ホープは何気なく受け取ろうとした。が、差し出されたのはミルクの皿だった。

達明「まずは、小さいものが先じゃ。」

ホープはえっ!と達明を見て、傍らの仔猫を見ようとして逡巡したが、どうみても知らん振りが見え見えだった。

達明「聞こえなかったのかな!どの母親も、まずは幼いものから食べさせているはずだ」

ホープ「いや・・よ」

達明には初めての声だったが、思いもよらないほど細く、哀しい声だった。

達明「好きにしなさい。だが、お前のそんな態度をお母さんが見たら何というかな」

老人は、仔猫を抱き上げて小指でミルクをしゃぶらせた。

ホープ「お母ちゃん・・・」

目の前のカップ麺は、すでに汁気が無くなっていた。


木之本家の居間、ソファには大きな座布団が敷かれており、 そこにはタマ (三毛猫) が気持ちよさそうにうずくまっていた。

タマ「そうじゃのう。撫子はほんに気の優しい女人じゃった。」

さくら「はあ。お母さんはタマがお気に入りだったんですね」

タマ「ワシがじゃ!」

さくらの周囲にはさくらカードたちが浮遊しており、興味深く聞き入っているらしい。 猫のご老体は、満足そうに番茶を飲み干し、最中饅頭を三つも平らげた。

知世「ケロちゃんへのお見舞いなのですが、タマさんに食べられちゃいましたね」

さくら「タマには居座られるし、ケロちゃんは引き籠もり。ホープちゃんは行方不明」

さくらは、ため息をついた。それは、さくらカードたちも同じらしい。

ライト「こんな、気の滅入るような時に。ホント間の悪いことは続くものね」

ミラー「だから、このお話の作者さんは筆が遅いんですね」

タイム「人間も猫も年を加えると、無精でセクハラを帯びるものかのう」

タマ「うるさいわい。このワシなんぞ作者に比べれば・・・・・」

その瞬間!窓で大きな雷が炸裂した。カーテンがはためき、強い風が吹き込んできた。 同時に黒い影も運び込んできた。

タマ「おう!頭。あの子の消息はどうだ」

カラス頭「タマ爺。やっと確認したぜ。あれ?ここの姉御は?」

人間と魔法のカードたちは、そろってソファの下に逃げ込んでいた。  


竹芝桟橋に風が出てきた。 モニュメントの帆柱が突風に煽られ、飾られた旗が激しくたなびいていた。 ホープは、心ここにあらずという感覚で、反対側の警官派出所を眺めていた。 この数日、派出所前のマンホールを彼女は見つめていた。だが、いっこうに子ネズミたちはおろか、母ネズミも姿を見せない。 雨が降り始めて、港の方から吹き込む風に彼女は奥に引き下がろうとした。 ところが、けたたましい鳴き声に驚いてしまった。 子猫が、全身の毛を逆立てて立っており、わずかに伸びた爪と 歯がむき出しになっていたのだ。

ホープ「猫ちゃん・・・」

仔猫「どけ!」

仔猫は、よけた女の子の背中を駆け上がり、ハウスの外に飛び出した。 そして、降り出した雨にもかかわらず全速力で横断歩道の人間たちの足下を 駆け抜け、普段なら決して踏み出さない都道に飛び込んでいった。

運転手「あぶねえ!」

ドライバー「アホか!子猫一匹でブレーキ踏むな」

鳴り響くクラクションに、派出所の巡査たちもやって来た。

通行人「見た?子猫が走っていったのよ」

サラリーマン「この雨じゃ、死んじまうな。 小さな身体に、雨は大敵さ。おい、お嬢ちゃん」

気がついたとき、ホープはなぜか歩道にまで来ており、びしょ濡れだった。

ホープ「死。動かなくなるの...... いや!」

周囲の大人が動く前に、彼女は信号も目に入らないのか、道路に飛び出していた。


近くの計量試験場の門に子猫が走ってきた。 降りしきる雨の中を、鼻に感じる兄弟の気配を頼りに来たのだが、何も居ないのだ。

子猫「母ちゃん。兄ちゃん・・・みんな、置いていかないでよ」

びしょ濡れの子猫には感じていた。工場の廃屋でみんなと一緒に 丸くなっていたときの気配を。 一声、子猫は鳴いた。 その声は、哀しくか細い一声だったが、追いかけてきたホープの心を 正に揺り動かした。

ホープ「あの子達だったの。 ...... ごめんね。」

冷たい雨が、女の子と女の子が抱きしめた仔猫に降り注いだ。 そこに、人影が近づいてきた。 その人影は、分厚い織物に身を潜めており、瞳を赤く燃え上がらせていた。

至上「お前はなぜ、ここにいる。その本来の力さえあれば、逢いたい人の元に行けるのに」

ホープ「だめ!ここで行っちゃたら、後悔する」

至上「ふん。どうやら気配は感じているようだな」

至上と呼ばれる男は、指先をピンと弾いた。 すると、強い光が集まり水晶のような結晶が現れた。

至上「あのまま封印されたままなら、無用の悲しみも苦労もなかったものを...」

結晶が一際強く輝いた。なぜか、ホープは子猫を抱いたまま動けなかった。

ホープ「お姉ちゃん!」

そして、彼女は雨の中に倒れ込んだ。

達明と巡査がまもなく、ホープと子猫を見つけた。 降りしきる雨の中でびしょ濡れのまま、子猫を護っている姿は痛々しかった。

達明「可哀相に。体温が冷え切っておる」

巡査「仔猫には、判ったんだな。ここに、兄弟が眠っていることが」

彼の指さす先には、小さな盛り土と空き瓶に差し込まれた花があった。

達明「墓、なのか」

巡査「この間、前の車道で三匹の子猫が車にはねられた。しばらくは息があったらしい。 運転手も駆けつけて、タオルで包んでやったりして助けたかったが、まもなく息絶えた。

達明「母猫はいたのか」

巡査「いや、子猫だけだったらしい。    通りかかった通行人と運転者が、ここに運んできて埋めた。     二週間もたつのに、花が絶えないんだ」


朝の桟橋に汽笛とともに、連絡船が入港してくる。 桟橋では、陸揚げされたコンテナーを作業員達が動かしたり、中身を整理している。 その喧騒が、暖かいものに包まれている仔猫の耳に届いた。 その暖かいものは、人間の女の子の胸元だった。 女の子は、暖かな毛布に包まれており、心配げな婦警が派出所内で昨日着せて あげたばかりの服を干していた。

婦警「仔猫ちゃん。目が覚めたのね」

確かに、仔猫は目を覚ました。が、大嫌いな人間の女の子の胸の中は、窮屈らしい。 爪を剥き、攻撃をしようと身構えたが、居心地良い暖かさにあくびが出て... また眠ってしまった。

巡査「おやおや。まるで、親子みたいじゃないか」

婦警「まあ!でも、そうも見えますね」


香港の李家の屋敷内では、

至上「先ほど立ち寄った東京とこの香港。今の私は多忙なのですよ」

またここでも、彼は指を弾き、結晶を召喚した。その正体を知っている 外祖と夜蘭は身構えた。

母屋の前で、娘達が四人の至上に身動き一つ出来ないように、 羽交い締めにされ、結晶が突きつけられている状態では、いかに強力な魔力の持ち主二人でも形勢不利である。

至上「さて、今回の用向きですが。 夜蘭様、先代からの盟約の時が迫りました。ご子息、小狼殿です。」      

夜蘭「盟約!あの子を巻き込まないで・・」

至上「そうは行きません。 我らが主、主聖の願い。それがどんなに切実であるかを母君様はご存じのはず。」

外祖「愚かな!お前達は無い物ねだりをしているにすぎんわ」

至上「無い物ねだり?そうでしょうか。 この世代に至るまで何十世代、何万人の男女の献身を、 彼らの子らをつうじた努力が、 育てた結果が手の届くところにまで近づいてきたのですぞ」

夜蘭は、扇をかまえた。同じく、外祖も杖を持ち直した。

至上「我らの意志に逆らうのですか?」

夜蘭の扇が魔力の集中によって、輝き始めた。その時だった。

小狼「雷帝招来!!」

強力な雷撃が男を目指して、 飛び込んできた。それは周囲の建物に青白い光を放ち、 どんな遮断も突き抜けるに十分な力を持っていた。

至上「おやおや、芸のないことを」

彼の前に輝く結晶は、直後強烈な電撃を浴びて閃光を発した。

小狼「母上!姉上様達」

少年は、屋敷の直上から一気に庭に降り下った。 だが、待ちかまえる男は微笑みを浮かべているだけだった。

小狼「そ、そんな...」

至上「言ったろう、芸がないと。 どうやら、至聖様の判定は正しかったようだ。 君はあまりにも未熟で、才がない」

小狼「風...」

瞬間、呪文を記した札が消し飛んでしまった。 小狼は、驚きのあまり剣を持ったまま動けなくなった。

至上の前の結晶は、変わらぬ輝きを放っている。 それを見た夜蘭は、息子との大きな力の隔たりを知った。

至上「だが、それでは私の立つ瀬がない。 一応は、君の応援をしていたつもりなんだが」 

結晶が光を変えた。白い輝きを赤く染め、同時に細くなり始めた。

夜蘭「や、やめて」

外祖「心の臓に食いこむ針!なんと恐ろしいことを」

女親と老人は弾かれたように走った! 男と少年の間に割り込もうと、恐ろしい処刑を阻もうとした。

至上「せめてもの幸運を!」

鋭い針が、男の掌から走った。そのまま空を切り、 老人の身体を、母親の身体を何事もないように通り抜け、少年の胸元に向かった。

外祖「謀られた!最初から小狼殿の波に合わせてあったか」

小狼の剣が針を拒んだ!それは一瞬だったが、 鋭い音とともに目も眩むような閃光を発し頑強に抵抗した。

小狼「うわ〜〜〜〜〜!!」

李家の屋敷に悲鳴が鳴り渡った。そこにいた人々は、 真っ赤な針が少年の胸にゆっくりと吸い込まれるのを、為す術もなく目撃した。


友枝町の三原家の寝室で、千春が先日買ってきた大きな水槽を見ていた。 中身はもちろん、あのタコ (妖怪) である。

千春「お休み。タコさん」 

かわいらしいパジャマ姿を、妖怪は真っ赤になってみている。 どうも、この辺の仕草はスケベ中年そっくりである。

ここのところ、妖怪は寝酒を好むらしい。 いつの間にか、水槽内に持ち込まれた小瓶をご満悦で抱え込んだ。 しかし、その日は違った。

妖怪「ん?」

彼の目の前で、ボンヤリとした光輪がチラチラし出した。 ギクッとした妖怪が後ずさると、光輪の中から声が聞こえた。

女王「ごきげんじゃのう」

宇宙妖怪族の女王の映像がそこに有った。



つづく

次回予告

邂逅 (かいこう)


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