お姫様の帰還

作者: deko

第4話: 嘘つき君と妖怪とお姫様

木之本家・さくらの部屋

ケロ 「なあ、さくら。 ホンマにこの作者って、やる気あるんかいな?」

さくら 「dekoさんのこと?」

ケロ 「そうや! 何ヶ月も作品を放り出して、なんちゅうか、キャラクターへの 責任ちゅうものを自覚してほしいわ。」

さくらははっとなり、周囲の気配を確かめると指を口に押し当てた。

さくら 「ケロちゃん! この作者さん、とーーっても陰険なんだから滅多なことを 言っちゃだめ! そうでなくとも、ケロちゃんは睨まれているんだから。」

ケロ 「へ! 中年のおっさんに何ができる。 こらあ、作者! いつでも相手してやるわ、 かかってこい!」

瞬間、窓の外に閃光が走った。 大きな雷に部屋全体がビリビリと震えた。

さくら 「きゃーーー!」

ケロはあわててベッドに逃げ込んだ。 窓の向こうに白いものが舞ってきた。 それは 雪。 暖かい空気が冷たい空気に駆逐され、冬の季節風が平野に流れ込んできた。


桟橋の下にあるネズミたちの国は風も吹き込まない。 年中、蒸気が噴き出す 配管の迷路は、ネズミたちには別天地である。 その中を、年配のネズミが 「温泉」 に いる母ネズミのところにきた。

老ネズミ 「母さんや、あの子は留守かね?」

母ネズミ 「ホープですか? あの子は、子供たちと地上に行きました。」

老ネズミ 「あの子がここに居着いて2回 月が満ち欠けした。」

母ネズミは、老ネズミの瞳を見た。 普段なら許されない不作法であるが、 その兆候ははっきりと見えた。 赤い目!

母ネズミ 「私に、用意をしろということですか?」

年老いたネズミに宿る異形の存在は禍々しい (まがまがしい) 微笑みを浮かべた。

老ネズミ 「この身体は、二つの冬と夏の間しかもたない。 あんたも旅立つ用意を しなければならんのじゃ。 あの子は、もともと思いもかけない出来事でやって 来たのだ。 早く家に帰さねばならぬ。」

母ネズミは足下の湯に入っている子供たちを見ていた。 ホープがここで暮らしている 2ヶ月の間に彼女は最後の世代を生み出していた。

母ネズミ 「わかりました。 私もこれが最後の子育てですから。」

だが、老ネズミは聞いていなかった。 いつの間にか湯に入っていたのだが、 その瞳からは赤い光が消えていた。

母ネズミ 「私の罪...」


薄暗い繁華街の裏では雪が舞っている。 白い雪は人間たちの作り 出したもの全てを包み隠す。 そんな中では、元気な声が聞こえる。

ホープ 「み〜つけた。 このハンバーグ、キノコ風味だ。」

子ネズミ 「おねえちゃん、すごいなあ。 おいらたちが見つけるのより早いんだから。」

小さな子ネズミたちをお守りしながら、女の子はあちこちのゴミ缶や ビニール袋を探し回っている。 今度は、大好物のソーセージがまとめてゴミに なっている。 どうやら、宴会の残り物らしい。 ピーナッツに子ネズミたちが群がった。 その時、恐ろしい雄叫びがとどろき渡った。

猫 「盗人ども! よくもあたいたちの縄張りを荒らしてくれたわね。」

経験の少ない子ネズミたちには、周囲の猫たちの殺気が感じられなかった らしい。 家猫や野良猫たちが爪を構えながらホープたちの周囲にいつの間にか 忍び寄っていたのだ。

子ネズミ 「ホープおねえちゃん! ネコさんたち怖い。」

ホープは人間の女の子並みの身長でいるが、ネコたちには恐れる 理由はない。 縄張り荒らしには、情けは無用なのだ。

シャム猫 「この間は邪魔が入ったけど。 あんたたちは運がないわね。」

家猫 「そうね。 ギタギタにして二度とここに来れなくしてやるわ。」

ホープは慌てて子供たちを守ろうとした。 だが、飛びかかってきたネコが、 子ネズミを一匹さらったのだ。

ホープ 「おちびちゃん!」

子ネズミは大きなシャム猫の前足に引き据えられ、代わる代わる なぶりものにされる。 その恐ろしい牙は、子ネズミを引き裂くには十分な 長さを持っている。

家猫 「もう帰れないわよ。 おチビちゃん覚悟なさい。」

子ネズミ 「ホープおねえちゃ〜〜ん。」

彼らの頭上にはカラスたちが何羽か飛んでいた。 だが、今回は高みの見物を 決め込んでいるらしく、降りてこない。 ホープは子ネズミたちを、ポリバケツの 隙間に降ろすと、きびすを返した。

ホープ 「みんな、いい子だから目をつぶっていてね。」

子ネズミ 「どうして?」

ホープ 「おねえちゃん、怖くなるもの。」

怒り、そして噴き上がる憎悪。 ホープは自分の中から強い衝動がわき 上がるのを感じた。 手足が震え、子ネズミたちが見守るなか、 恐ろしい雄叫びをあげながら、ネコたちに飛びかかっていった。


木之本家や友枝小学校から離れた住宅地の中に、大きな看板を掲げた 事業所がある。 建物の2階には、かわいい刺繍のカーテンが掛かって いる。 明らかに、家族用の居室である。

その部屋には大きなベッドが置かれているが、その周囲にはモニターや 医療機器が所狭しと並んでいる。 カーテンを透かして陽光が差し込むと、 モニターに表示が現れ、同時にスピーカーから擬音(偽の声)が鳴った。

「アサ・・・・・」

すると、待っていたようにドアが開いた。

母親 「おはよう、和美。」

カーテンが手繰られると、ベッドに朝日が差し込んだ。 ベッドの主は パジャマ姿の女の子だが、身動き一つ出来ないらしい。

「ウン。オハヨウ・・ママ」

母親は、娘の顔を包囲しているセンサー類を掻き分け、青白い頬を愛撫した。

「ママ・・オジイチャン ハ ドコ・・・・」

母親 「お爺さまはね... 海の向こうよ。 大切なお仕事で帰れないの。」

朝食の盆が並べられた。 流動食のチューブ付き食器に、女の子の 目が悲しそうに潤んだ。

「キライ・・・キ・ガ・ディ...」

涙で、彼女の視線を探るセンサーが誤認識したらしい。

吉田晴雄 「和美! 好き嫌いを言うんじゃない!」

いつの間にかドアが開いており、そこには彼女の父親が立っていた。


山崎と千春がペンギン公園に歩いてきた。

山崎 「でね、僕の思うに火星人は存在するんだよ。 H.G.ウェルズは、火星における 高等生命の可能性を示唆したけど、同じことがこの地球、 深海の世界にも言えるんだ。」 

千春 「つまり... この地球にも火星人は居ると言いたいのね。」

いつものことながら仲のよい二人だが、千春の声にはウンザリの気が見え見えである。

山崎 「そうだよ! 彼らは8本の足以外にも手の役割をする足を... 2本くらいは 持っていると思うな。」

千春 「10本の足を持ったタコさんイコール火星人?」

山崎 「ウェルズ氏によると彼らの科学力は、火星の大地に...」

山崎博士の講釈は遮られた。 ペンギン大王の下で子供たちがワイワイ 騒いでいたのだ。

子供 「このやろ! 俺に墨かけやがった。」

女の子 「生意気ね。 ねえ、酢をかけたらどうかしら?」

子供 「攻撃開始!」

子供たちは一斉に木の棒で攻撃を開始した。 その敵は?

千春 「や、山崎君。このタコさん! 立っているわ!」

山崎 「うん。 火星人なら... えーっ!?」

確かにそのタコは足を伸ばし胴体を支えて直立していた。 それでも、 青い身体と体長20センチメートルに満たないせいか、子供たちのイジメの 対象であり、何カ所かにコブやかき傷を負い、間違いなく涙を 流していた。 こういう場合は気持ち悪さが先に立つのだが、今の彼女には そこまで気が回らなかった。

千春 「ちょっと、あんたたち! こんな小さい相手に可哀想じゃない!」

女の子 「うざいおばはんねえ。 あたいらは地球防衛軍なのよ。 インベーダーを 退治しているんだから。」

子供 「そうそう。 おばはん、あんまりよけいなコト言うと、 お嫁のもらい手が...」

普段はとっても優しいお嬢さんの顔が真っ赤になった。

千春 「こらーーーーーーーーー!!」

仁王のごとく立ちふさがる千春に子供たちも恐れ入った。 脱兎の ごとく逃げ出したが、アカンベーを残す勇者もいた。

千春 「ほんっとにもう!」

彼女の足下ではタコがしがみついていた。 とっても強い庇護者に 会えたのは... あの宇宙妖怪である。

千春 「あらっ? もう大丈夫。 早く逃げた方がいいわよ。」

妖怪 (タコ) は優しく持ち上げられて滑り台に乗せてもらったものの、 千春にしがみついていて離れそうになかった。

山崎 「そのタコ、千春ちゃんに甘えたいのかな?」

千春 「怖かったのよね。 今時の子供って、生き物をいじめることしか 頭にないんだから」

妖怪は千春の優しい抱擁にボーッとなっている。 女王から絶滅を指示された 哺乳類生命であることなど忘れている。 だが、少年の鋭い視線にビクッとなり、 身構えた。

山崎 「そいつ、ひょっとして空から降ってきたのかもしれない。 青いタコ なんて、タコらしくないよ。」

千春 「宇宙人? あのねえ山崎君、このタコさんはね、色が変わっているから 逃げ出してきたのよ。」

山崎 「でも、その青い身体、どーも怪しい!」

確かにタコは青くなっていた。 だが、千春に抱かれると興奮したらしく、 身体の色は赤くなった。 その色の変化が千春には、可愛らしく思えたらしい。

千春 「もういいわ! この子、私が面倒見るから。」

山崎はあきれて彼女を見送った。 その時、彼は目を疑った。 彼女に 抱かれているタコは背中越しに長い二本の足を伸ばしており、それぞれに 千春のおさげに触ろうとしていたのだ。

山崎 「う、嘘だよね。 本当に火星人??」

妖怪の攻撃は、彼を真っ黒にした。


桟橋下のネズミの国に立ちこめる水蒸気越しに夕日が差し込んでいた。 この世界は 湿気が立ち込み、一年を通じて気温の変化が少ないが、先ほどからの冷気を 誰もが感じていた。 そこに、賑やかな声がする。 地上に出ていた子供たちが 帰ってきたのだ。 さくらカード リトルの作用によってホープの身体は 20センチメートルくらいの身長に戻ったため、地上で集めてきたごはんを背負う には少々きつかった。

子ネズミ 「食べ物がいっぱい。 お母ちゃん喜んでくれるね。」

ホープは気恥ずかしかった。 みんなの前でみっともない姿をさらして、 大暴れした。 子ネズミたちはネコたちの爪に怯えるよりも、彼女の雄叫びを 怖がったくらいだ。 そこに、母ネズミがやってきた。 ホープは、母ネズミの 初めて見る表情に我を忘れた。それは、怒り。

母ネズミ 「ホープ! あなたは、地上でネコたちに何をしたの?!」

ホープ 「あ、あの...」

母ネズミ 「あなたは確かに人間の女の子よ。 でも、ここであたしたちと 暮らす以上は「ネズミの掟」を守ってちょうだい。」

子供たちは母の初めて見せる叱責に驚き、女の子の後ろに逃げ込んだ。

ちびネズミ 「ホープおねえちゃんは、悪いネコさんたちをやっつけたんだ。」

母ネズミは頷いた。 その表情があまりにも人間くさかったのを、 誰も気付かなかった。

母ネズミ 「そう。 じゃあ、今度から私たちネズミが地上でネコに出会ったら、 ネコたちはネズミに対してどうすると思うの?」

ホープは今まで感じたことの無かった感情がわき上がってくるのを感じた。 痛い ようで痛くない。 でも、おなかの中に居座る気持ち悪さ。 それは... 後悔。

母ネズミ 「彼らは仕返しをしてくるわ。 多くの仲間たちが傷つくでしょう。 あなたの今日やったことの仕返しとして。」

ホープは泣きたかった。 みんなにたくさんの土産を持ってきたのに、とんでもない 災いを持ち込んだのだ。

母ネズミ 「あたし達は同じ世界に、それぞれの生き方で生きているのよ。 傷つけ会うためじゃないわ。」

その彼らを天井の配管の陰から、一羽の三下 (下っ端) カラスが見守っていた。

カラス 「すまんなあ。 お嬢ちゃん。」


その頃、繁華街のゴミ出し場では、カラスたちが騒ぐ中、 異様な光景が展開されていた。 酔っぱらったようなネコたちが、 フラフラしながら足を引きずっているのだ。 よく見ると、彼らのヒゲが それぞれ半分ずつ引き抜かれており、方向感覚を失った彼らはよたよたと ゴミ箱にぶつかったり、入れそうにもない穴にはまりこんで、 鳴き声を張り上げていた。

カラス 「動くなって! ああ、ドジ。」

もっと悲惨なのが、何匹かのネコがヒゲを抜かれた上に逆さ吊りにされており、 カラスたちが嘴で紐を切ろうと悪戦していた。

家猫 「にゃーんか... ふにゃふにゅす (ふらふらする) にゃあ〜」

シャム猫 「ネズミたちめ、人間の子を味方にするなんて卑怯よね。」

カラス頭 「なんとも、哀れだねえ。 さてと、ちょっくら出掛けてくるぜ。」

手下カラス 「えっ! 何ですか、親方?」

カラス頭 「いや何、あの女の子の気配は西の町のネコ爺の言っていた子に 似ているんだ。」

彼らの傍らを、逆さ吊りから解放されたネコが墜落してきたのだが、 それ以上に手下カラスはびっくりした。

手下カラス 「え! あの化けネコですか?! 噂じゃ尾っぽが二股に 分かれた老いぼれとか。」

礼儀を知らない手下にカラス頭の嘴が突き立てられた。

カラス頭 「失礼なこと言うんじゃねえ! そりゃ、人間達の噂だろう。」

つい今、墜落した三毛猫が情けない声で言った。

三毛猫 「本当だよ。齢18年とかいってるにゃ。」

手下カラスは、恐ろしさに震え上がった。


友枝町にある三原家の居間には大きな水槽がある。 高価な気化器械が 設置されており、熱帯魚専用の照明が施されている。 そこに、ドボンと大きな 音とともに、あのタコ (妖怪) が入ってきた。 中の住民達には びっくりする侵入者である。

千春 「ごめんね。 庭の池は、お父さんの釣果でいっぱいなの。」

妖怪にとって、待遇の急転は納得できないらしいが、少なくとも子供達の イジメよりは安全なのだろう。

千春 「お願い、みんな。 タコさんを食べないでね。」

彼女がお願いした水槽の住民は、ピラニアとウツボである。 なぜか、魚たちは 千春の言うことに頷いているように見える。 だが、彼女が母親に呼ばれて いなくなると、小さいくせに水槽の半分を占拠しているタコを睨み返す。 妖怪は、 険悪な雰囲気には気付かないらしい。 その代わりに、彼は水槽の隣に置いてある お酒の臭いに気付いたらしい。 クンクンと鋭敏な嗅覚が今まで感じたことのない 官能を感じた。 すなわち、一杯呑みたくなったのである。


さくらの部屋では知世が新作のドレスを披露していた。

ケロ 「なあ、さくら。 ワイらの出番は今回は無しやな。」

さくら 「そうね。 作者ったら、行稼ぎしか頭にないんだから。」

知世 「可愛い、可愛いホープちゃん。 早く帰ってきてください、 知世はビデオをハイビジョン対応にして待ってますから。 おほほほほほほほほほ。」


三原家居間の水槽から水煙が上がった。 ピラニアとウツボが妖怪の足に 噛みついたのだ! アルコールでいい気持ちの妖怪は、赤くなった身体から 臭い息を吐き出しながら応戦した。 水槽の住民からすれば無理もない。 千春には 言うことを聞くとしたらしいが、新参者は図々しくも水槽の半分を占拠した上に、 何かの方法でお酒を入手して酔っぱらい、臭い息をまき散らしている。 さすがに 我慢できなかった。

妖怪 「畜生! 下等生物め、この俺様に向かってくるとは!」

だが、多勢に無勢。 あちこちと噛みつかれてはかなわない。 やむを得ず、 足を総動員して噛みついた魚どもを引き離すが、ピラニアの歯はまことに 鋭い。 その上、ウツボが大きな口を開いて胴体をねらってくる。 こうなっては、 自分の正体露見など二の次だ。

妖怪 「ゴボッチョ!」

気合いとともに、口から激しい噴流をはき出したのだ。 噴流の激しさに、 水槽の浄化装置は過負荷に陥り、上の照明もグラグラ揺れだした。 激しい 噴流は渦を描き、ピラニアたちをグルグルに振り回した。 ところが、 これが裏目に出た。 噴流とともに、妖怪が呑んだはずのアルコールも水槽内に 流れ出し、みんな酔っぱらい状態で戦いが推移したのだ。

妖怪 「ゴボボン!」

妖怪は戦術を変え、赤く身体を振るわせた。 すると、猛烈な熱波が ほとばしった。 温度が急速に上昇し、温度計の表示が天辺まで上り詰めた。 ゴボゴボと気泡が吹き出す環境になったが、これは熱帯出身の魚たちをますます 勢いづかせた。 ウツボは気絶して水面に浮かんでいたが、その下では死闘が 繰り広げられていた。

妖怪 「ゴロ!!」

最後の手段らしい。 妖怪の目が閉じられ、その身体が止まる。 身体の色が 青く戻るだけでなく、猛烈な冷気がほとばしった。 急速に冷気が水を凍らせると、 ピラニアたちは隅の方に逃げ込んだ。だが、妖怪は術を解除しないで、ますます 強く展開した。 夕食を終えて、家人が集まってくると異常が発覚した。 いつもは 元気なピラニアとウツボが水面に浮かんでおり、下ではタコが何事もなかったように、 うずくまっていた。


湯気の立ちこめる温泉場の近くでホープは微睡んでいた。 彼女は子供達と いることを禁じられ、一人でいなければならないのだ。

ホープ 「あたい、お母ちゃんに怒られちゃった。 でも、おちびちゃんを 助けるためにしたのに...」

頭上には明るい月が光っている。 その月はさくらのいる町も、エリオルのいる町も 照らしている。 なのに、冷めざめとした冷たい光に感じられた。

ホープ 「明日、お母ちゃんに謝ろう。」

そして目を閉じると眠りにつこうとした。 しばらくして、背後にそっと動く影が 忍び寄るのを彼女はボンヤリと感じていた。 母ネズミは、女の子の背後から 柔らかい腕や、首筋を見つめていた。 明らかにネコたちとの立ち回りで引き 掻かれた傷が何本かある。 もとは手芸用のお人形だったのを、強力な魔力が 変換し命を与えている。 息が規則正しく、胸の上下は完璧な命を支えている。 この2ヶ月の間に少し身長が伸びているのを母ネズミは感じていた。 やんちゃ だけど、優しい子。 そして、愛おしい子。

母ネズミ 「ホープ、起きているんでしょう。」

いつもとは違う声に彼女は鳥肌が立った。 いっさいの感情が抜けており、 声の繋がりでしかないのだ。

母ネズミ 「私の言うことを聞きなさい。 でも、動いてはだめ。 動こうとしたら、あなたの首に牙を立てるわよ。」

ホープは何も言えなかった。 時間が停滞し、一切の沈黙の中にドブネズミの 殺気が充満している。

母ネズミ 「もうすぐ、月の光が建物に遮られるわ。 そうなったら、 その暗闇にまぎれて...出て行きなさい。 ここは、あなたの居るところじゃ なかったのよ。」

気配が薄れた。 ホープが意を決して振り向けば、誰もいない真っ暗な影が 一帯を覆っていた。

ホープ 「お、お母ちゃん。」

今までに味わったことのない、深い本当の悲しみが湧きあがってきた。 今、 真にホープは涙を浮かべていた。 涙。 あれほど憧れていた人間の証拠。 こんなにも 苦しい想いを彼女は知らなかった。


つづく


次回予告

「偏屈おじいさんとお姫様」


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