星界の門

作者: deko

第5話: 母の想い

吹きずさむ雪と風の中で、周囲の峰々から雪が崩れ落ちてくる。 雪崩は木々を 押し倒し、雪煙をもうもうと上げて一気に谷底まで進撃していく。

瑠美: 「お母さん!」

瞬く間に、彼女は雪煙の中に消えてゆく。 そこに、白い光輝が二つ 現出した。 その光は、さくらを襲った子ウサギに宿った光だった。

ラル: ラビッ太! 瑠美が見えない。 助けて!

ラビッ太: 今、確保した。 だけど、このままじゃ雪で窒息する。 このまま、 瑠美とともに、雪の中にいる。

ラル: そんな! こんなに多くの雪をどうやって。 新雪とはいえ、膨大な量が 圧縮されて、金属のように堅いわ。

雪の中では、瑠美が気絶したままである。 その彼女の口元に、雄兎が張り 付いている。

ラビッ太: もうじき、あいつが来る。 将来、俺たちの命を奪うやつが。

ラル: 皮肉ね。 瑠美ちゃんにとって、かけがえのない人が私たちを。 あたし、 あのお嬢さんに来て欲しいわ。

ラビッ太: しっ! あいつらが来た。 逃げた方がいいぞ。 俺たちの正体を 知られたら、すべてが終わりだ。

ラルが頭上を仰ぐと、爆音を響かせて大型ヘリが降下してくるところだった。


真っ暗な部屋の中央には、ガラスケースが鎮座している。 かすかな光に よって、内部には充填された液体と女性の裸身が浮かび上がっていた。 出し抜けに、監視装置が警報を鳴らした。 その赤いランプの点滅の中で、 女性の瞳が開かれようとしていた。

美子: る... み...


双遠山中腹の雪は小降りになってきた。 大型ヘリが滞空したまま、地上では 多くの人々が集まっていた。 到着した雪上車から、さくらと小狼が真っ先に 飛び出した。 だが、周囲を警戒中の消防団員たちに押し止められた。

団員: 「だめだ! ここから先は危険だ。」

真嬉: 「状況はどうなんだね!」

団長: 「天宮さん、残念ながら先程救急車で一人運ばれていきました。 地元の猟師です。」

真嬉: 「助かるのかね。」

警官: 「一緒に巻き込まれたらしいツキノワグマは息絶えていましたが、 さすがは猟師ですね。 意識はありました。」

一同を見下すような大型ヘリの爆音が響いていた。

お父さん: 「あの人たちは、大丈夫なのでしょうか。」

見れば、滞空中のヘリからは何人もの所員がロープづたいにぶら下がりながら 雪渓で作業をしていた。

団長: 「彼らはGPSセンサを使っているようですが。」

さくらは気が気ではなかった。 こうしている間にも瑠美が助けを呼んでいる ような気がして落ち着かなかった。 その時、知世が雪原の一点を指さした。

知世: 「さくらちゃん! あれは!」

一同が雪の中に踏み込むと雌兎が倒れており、傍の雪が赤く染まっていた。

お父さん: 「これはひどい! 傷口が開きかかっている。 園美、救急箱を用意してくれ!」

その時だった。 小狼とさくらに向けて雌兎の目が輝いた。 その目は青く、 凄まじい 「力」 が溢れていた。


高度通信研究所の解析室では、グノーム博士と科学者たちがコンピュータに 向かっていた。

グノーム: 「解析の結果は出たか!」

技術者: 「計算の結果、1テラビットあたり、100万分の一秒の稼働周波数です。」

科学者: 「ここのコンピュータでは、だめです。 博士!」

グノーム: 「データリンクだ! 世界中のスーパーコンに応援を要請しろ!」

一方、解析室の端では聡がインターフォンに向かっていた。

美佐子: 「間違いありません! 霊廟からの報告では、奥様が目を覚ましかけている ようです。」

聡: 「いかん! 今になって起きられたら、今までの苦心も水の泡だ。 今一度、 眠らせるのだ! 早くしろ!」

美佐子: 「そ、そんな。 瑠美ちゃんの...」

美佐子の訴えは中断された。 聡の背後で科学者たちが喝采を叫んだのだ。

技師: 「わかりました! このチップ野郎は、4組の数字を繰り返しています。」

聡: 「4組の? どういうことだ?」

グノーム: 「君自身、言っていたね。 救命ボートのチップだと。 となれば、位置に関することだよ。」

聡: 「位置... そうか! 座標だ!」


双遠山にいたはずだったのに、さくらは不思議な空間に立っていた。 さらに、 自分の頭の中に見えない指が入ってくるのを感じ、いつか見た夢の中の 情景を思い出した。

さくら: あ... この景色は... 大きな光が...

美子: 来て頂けたのですね、お嬢さん。 わたしの呼びかけに 答えられたのはあなただけでした。

さくらは慌てて周囲を見渡した。 だが、そこに見えたのは大きな闇と天空から 降り注ぐ大きな光束だけだった。 それはまさに以前見た夢の風景 だった。 違うのは、闇の中に佇む女性の姿だけだった。 その女性は、 さくらに向かって会釈を返してきた。

さくら: 「あ、あなたは?」

女性の目が青く輝き、あの青い光がさくらを包むように拡がってきた。

美子: 「瑠美の母、中川美子と申します。 あなたは... 不思議な力を持つ カードさん達の主、さくらさんですわね。」

さくら: 「ど、どうして...?」

瞬間、さくらは長耳兎との対決 (第一話を参照) を思い出した。

美子: 「わたしがラビッ太にお願いしたんです。 わたしの 「声」 を 受け止めることの出来る方が、どれほどのお力をお持ちか調べてと。」

さくらの目の前の女性は美しい裸身を見せたまま、目だけが深い青に 染まっていた。 さくらは、女性を見るに胸が締め付けられるような 気がした。 瑠美がどんなにか母を慕い、いつもいつも、小さな胸を痛んで いたことか。

さくら: 「瑠美ちゃん! あ、あんまりです! どうして、どうして 瑠美ちゃんに会えないんですか? あの子が本当に甘えられるは、 あなただけなんですよ!   お願いです! 瑠美ちゃんに会って下さい。」 

さくらの懐から「幻」のカードが抜き取られ、空中に静止した。

さくら: 「ど、どうして...」

美子: 「ごめんなさい。 この方の力を借りたいの。 わたしのすべてをお見せします。」

さくらが頷くと同時に 「幻」 のカードが発動した。 そして、 彼女の前に情景が浮かび上がってきた。

夜空を大きな火球が横切り、双遠山の山麓に落下する。 それを見ている猟師。

大都会の夜、赤信号の交差点を平然と渡って行く人たち。 その中で、 一人だけ立ちすくんでいる女性。

美子: それが私でした。 私は帰ることも出来なくなり、この世界で 生きることを決心しました。 

交差点の反対側に同じような男性がいる。 眼鏡をかけ、大事な鞄を抱えたまま ウロウロしている。

山麓の山小屋で、出し抜けに、元気な赤子の声が聞こえる。

美子: 「瑠美は、私が愛する地球の人との間に生まれた子でした。」

さくらの目の前には、可愛い赤ちゃんを抱いた美子が幸せそうに見える。 だが、 次の瞬間には美子だけが残った。

続いて、ケロと小狼もさくらがいる不思議な空間に入ってきた。

ケロと小狼: 「なんだって!」

慌ててさくらが周囲を見渡せば、「幻」のカードは発動を解除されており、 小狼と真の姿に変身したケルベロスがいることに気づいた。 それ以外には、 彼らだけを封じた空間に変わりはなく、大道寺家の人も真嬉もいなかった。

さくら: 「ケロちゃん。 小狼君も!」

ケルベロス: 「いつの間にか、さくらが動かなくなり、どないしたんやと 思とったら、小僧と一緒にわいも呼ばれたんや。」

小狼: 「さくら、この人が...」

小狼に事情を話す時間はなかった。 みるみるうちに美子の目に宿った光が薄れ、 周囲の空間が元へ戻ろうとしているのがわかった。 そのため、 美子の姿は歪み、消えようとしていた。

美子: 「さくらさん、私は瑠美に逢えないんです! 逢おうとすれば、 たちまち私は死んでしまうのです。」

さくら: 「ええっ! どうしてですか?」

美子: 「私が中川聡と結ばれて、瑠美がおなかに宿った時、私の身体はあの子を 異物として排除しようとしました。」

小狼: 「女の人にとって、おなかに宿った命はもう一つ別の存在なんだ。 まして、美子さんは地球の人じゃない。」

美子: 「はい。 私の身体は、あの子を殺す毒を作り出しました。 でも、 私は私の 「力」 を使って体内に毒を閉じこめたのです。 ですが、 私が動き始めれば、たちまち毒は全身に廻り。死に至らしめるでしょう。」

さくらにはわかった。 この女性は命をかけて愛する人との子をこの世に送り出し、 その代償に自分の命を差し出そうとしているのだ。

ケルベロス: 「お嬢ちゃんのおとうはんは知ってはるのか?」

美子: 「はい... あの人は変わりました。」

再度 「幻」 のカードが召還され、同時に、「視」 のカードも召還され、 現実の風景を映しだした。 それは、雪の中に閉じこめられた瑠美の姿。

さくら: 「瑠美ちゃん!」

美子: 「瑠美をお願いいたします。 あの子を助けてください。 そして、 あの人に伝えて... 彼らは許さないと...」

最後の言葉は、途切れ途切れにしか聞こえなかった。 そして、みるみるうちに 閉鎖された空間が消滅するのが彼らにも解った。


双遠山上空には研究所の大型ヘリが飛んでいる。

機長: 「もうすぐ時間切れだ! 雪の中の酸素も保つまい! やるしかないんだ。」

パイロット: 「しかし、機長。 雪の状態は未だ不安定です。 このままでは、 二次災害を招きかねません。」

機長: 「瑠美さんこそが全てなんだ! このまま、見殺しにしたら、ご両親に なんと弁解したらいいんだ。」

そこへ、観測員が報告した。

観測員: 「GPSの標定ポイントにズレはありません。 消防テントの 右前方80メートル、高低差22メートルに瑠美さんはいらっしゃいます。」

機長: 「ようし、やったるか。 地上の所員には後退を指示しろ。」

観測員: 「き、機長。 まさか...」

機長: 「脱出の用意をしておけ! 特攻だ! あの雪を吹き飛ばして... な、なんだ!」

下からの猛烈な熱風に、さしものヘリもバランスを崩しかけた。 その時、機長は見た。 堆積した雪の中から猛然と噴き上がる火柱を。

突然現れた火柱。それに付随して起こった竜巻に、消防団員や警察官達が 逃げ惑っている。 火柱は風と調和したように、崩れ固まった膨大な 量の雪を溶かし、蹴散らしている。

知世: 「す、凄いですわ。 強烈すぎます。」

偉望: 「まったくでございます。 お二人の魔力と、さくらカード。 封印の 獣の力が、これほどにお強いとは...」

二人は、天宮家の雪上車にやっと逃れることができた。

知世: 「さくらちゃんと李君。 やっぱりお似合いで最強の... ああ! 私と したことが...」

偉望: 「どうなさいました、知世様。 よもや...」

知世: 「はい。 ビデオを忘れました... 不覚ですわ!」

車内に戻った真嬉に、二人の会話は届かなかった。 だが、老人には わかっていた。 目の前で暴れる炎の中に暖かい愛情が溢れんばかりに 込められていることを。


カードキャプターの周囲には、「炎」 「火」 「嵐」 のカードが輝き、 「視」のカードが見せる方向に向かって突き進んでいた。 周囲をケルベロスが 滞空しながら、あらん限りの力を炎に込めて吐き出し、小狼も 懸命になって 「火神」 と 「風」 の札を召還、全力を注ぎ込んでいた。

さくら: 「シャドウ、瑠美の居場所を突き止めよ! ウォーティ、 炎と共に白き悪魔を退散させよ!」

さくらの魔法陣はいよいよ増して輝きを強め、主の膨大な魔力をカード達に 注ぎ込んでいた。 こうなっては、いかに堅く押し固まった雪も、少しづつ 溶かされ、吹き飛ばされるしかなかった。

小狼: 「もうすぐだ! がんばれ、さくら!」

彼らの頭上からは、とっくに雪は吹き飛ばされ、足元の雪は夥しい水に変わり、 激しい流れとなり深く深く雪崩を浸食していく。 やがて、シャドウの 移動が止まった。 そこに、ピンク色の塊があった!

小狼: 「いた! 瑠美、瑠美がいた!」

だが、彼らは気付かなかった。 夥しい熱が解放され、急に出来上がった空洞に向かって山の方から押し出されように、新たな白い悪魔が忍び寄るのを。

そこへ、上空からヘリが突っ込んできた。

機長: 「いけーーーっ!」

ヘリは覆い被さろうとする雪崩の中に飛び込んだ。魔法使いたちの前面に回り込み、着地すると同時に、彼らと雪崩面との間に防壁を作ったのである。 この滅茶苦茶な 強行突破に、さしもの魔法使い達も仰天した。

さくら: 「ほぇぇぇぇーーー!」

機長: 「無茶だぞ、こんな嵐の中に飛び込んでくるなんて! おお! 瑠美さんは無事か! でかした!」

この後について、さくらの記憶はボンヤリしたままだった。 大人達が第二の雪崩に 巻き込まれる危険を承知で、自分たちを助け出してくれたこと。 研究所のヘリが 雪崩に呑み込まれる前に、脱出したことだけが世間に報じられた。


ものものしい足音をたてて、木之本桃矢と月城雪兎が地元の病院に入ってきた。

桃矢: 「さくら!お前、お爺さまに迷惑かけて...」

病室に入った彼は、次の瞬間、大ショックに見舞われた。 なんと、最愛の妹と 未だ納得できない彼女のボーイフレンドが、同じベッドで 眠っていたのだ。 傍で看病していた大道寺知世が、にっこり笑ってベッドの 掛け布団を捲った。 二人は、仲のよい小鳥のように手をつなぎながら 眠っていたのだ。

雪兎: 「桃矢、これしきのショックじゃ危ないね。 結婚式。」

桃矢: 「うるせーーっ!」


高度通信研究所の解析室には研究所の全員が集まっていた。 ガラス ケース内のチップは、紫色の光で室内を彩り、隅にある解析コンピュータの コンソールは、この数日来の演算結果を今、表示しようとしていた。

グノーム: 「では、解析結果を発表します。」

科学者: 「事実の1. このチップは遙かに進んだテクノロジーによって 製造され、その機能は位置設定用の特殊チップである。」

技師: 「特殊チップって、リスクチップですね。 炊飯器なんかについてる 特定用途の。」

聡: 「ああ、低級なチップだよ。」

科学者: 「事実の2. チップの送信コードを解析したところ、太陽と、 太陽系の主な惑星群との相対関係が記述してあった。 その中に、 我が地球とは太陽を挟んだ、反対側にもう一つの惑星を示す 記述があった。」

美佐子: 「では、回帰したクロンメルト彗星に影響を及ぼした重力源とは?」

聡: 「探査機ツバメは惑星の存在を確認できなかった。 だが、そこに 残っている巨大重力源はワームホールと思われる。」

彼らはドキドキしながら白髪の科学者を見た。 グノームはこれから 言うべきことを、言わないですんだらどんなにか安らかだろうと思った。

グノーム: 「最新の観測によると、我が地球の秤動、つまり軌道の揺らぎだが、 太陽とそのワームホールの結んだ軸線から僅かだが、ずれることがわかった。」

その先は誰もが知っていた。 そう、呟きが漏れているのを中川博士は当然の ように受け止めていた。

聡: 「2日後、冬至の日の午前12時30分からの12分間。我らとワームホールとの 間に、太陽はいない。 ワームホール。 すなわちスターゲイト。 星界の門が 我々の眼前に現れる。 皆さん、高度通信研究所は、これより、 スターゲイトとのコンタクトのため、全ての業務を一時的に離脱します。」

全ての所員が拍手した。 沸き上がる歓声に、美佐子ですら高揚した顔を 隠せなかったのだ。


南アメリカ、アンデス山中の巨大なパラボラアンテナが旋回を始めた。 やがて、 太陽を照準すると追尾を始めた。 その動きは南部アフリカと日本の同種の アンテナとも同調していた。


瑠美の病室では、バスケットに入った二匹の兎たちが怒りの目を 表していた。 彼らの目の前の人物は、娘を抱き上げていたが、 返ってくるのは泣き声だけだった。

瑠美: 「いやよ! いやよ! お父さんの言うことなんか聞きたくない。 放して!」

聡: 「何を言うんだ! お前にとって大事なことなんだから。 一緒に行こう。」

瑠美: 「怒られるわ! 怒られるのよ! 行きたくない! 怖い! 怖い! ママーー!」


次回予告: 怒りの鐘

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