作者: deko
明るい満月に照らされて、狸の集団が森の広場を囲むように 整列している。 広場の中は大賑わいであり、大きな熊が興奮して 胸を叩き、一方では大きな角を振りかざしたカモシカがいると思えば、 親子連れの猿たちもいる。 そこへ、美しい長耳兎が登場し、それに呼応するように、 反対側からでっぷり太った、大きな狸が入ってくる。 睨み合う二匹と、狸の集団が 一斉に腹太鼓を叩き合う。 そんな異様な雰囲気に身を置いているのは、 一人だけいる女の子にしても同じ。
瑠美: 「ラビッ太! しっかり。 ラルを取られたら、一生不幸よ。」
噂の雌兎といえば、一段高い切り株に座っている。 これは、動物たちの 世界とはいえ、配偶者を巡る決闘である。 やがて、月が隠れると、同時に 間合いを計っていた二匹の決闘者は突進した。 決闘の勝敗は一瞬で 決まる。 ラビッ太が、大きな狸の懐に入り込むや、強烈な後ろ蹴りを 炸裂させたのだ。
瑠美: 「やったーっ!」
ラル: 馬鹿みたい! この生き物の中にいるうちに、あの人ったら、 先祖返りしたのかしら。
親友の勝利で大喜びの瑠美には、雌兎の心は届かなかったらしい。
外は雪が降っている。 天宮家別荘の居間では、別荘に滞在している人々を前に、 瑠美が兎たちの大ロマンスを実演していた。
瑠美: 「ラビッ太、強かったのよ。 狸のゴロンは、それ以来ラルに色目を使わないわ。」
さくら: 「すごーーい! だから、二人は仲がいいのね。」
知世: 「愛する者のために戦う。 ああ、なんて素敵なフレーズでしょう。 ね、李君。」
小狼: 「あ、ああ。 すごいな。」
そこへ偉望と園美が、お茶を運んできた。
お父さん: 「園美さん。 お爺さまはまだ来客中かね? せっかくの大熱演が見れないとはねえ。」
園美: 「仕方がないでしょう? お爺さまは昔から、研究を援助した方からは、 きちんと経過を聞くことにしているから。」
瑠美: 「お父さん...」
昨夜以来、兎が大嫌いなケロは、徹底的に無視している。
中川聡は真嬉の書斎で、ソファにくつろいでいる真嬉老人に説明している。
聡: 「以上が、計画の概要です。」
真嬉: 「信じられないが、信じるしかないようだね。」
真嬉老人の前には、たくさんのノートが並べられていたが、 彼は見ようとはしなかった。
聡: 「まったく、灯台もと暗しでした。 まさか、あの巨大天体の向こうに 彼らがいるとは...」
真嬉: 「何時まで続くのかね。」
聡: 「システムの起動は、南アフリカのステーションが完成次第...」
真嬉: 「そうじゃない! 君は何時まで、娘に真相を知らせないつもりだね。 私は、君との連絡の時はいつも問い質したつもりだ。」
中川は机の上のノートを集めながら、自分の後援者に答えようとしたが、 冷静には出来なかった。
聡: 「出来ません。 家内のことをあの子にいうくらいなら、いっそのこと、 口がきけない方がましです!!」
真嬉: 「だから、一緒の生活は出来ないのだね。 奥さんの病状は?」
聡: 「判りません。 病気の把握すら出来ないのが現状です。」
そこにいるのは、一人の父親にすぎなかった。 何の助けも得られない 現状に苦闘するしかない男。 その姿に真嬉は痛々しさを感じた。
真嬉: 「どうだろう? システムの完成まで、あの子を私たちに預けないかね。」
聡: 「でも、あの子は人見知りしすぎます。 それに...」
真嬉: 「大丈夫! あの子に打って付けのパパとママを知っているよ。」
中川を乗せた乗用車が雪が積もった町道を走っている。 その車中では 美佐子が、所長である聡を微笑みながら見ていた。
聡: 美子、あの子に臨時のパパとママが出来たよ。 どんなだって... 素晴らしい お二人さんだったよ。
彼の手には、家族写真があった。
別荘の台所では夕食の準備が始まっていた。 さくらと小狼も大人達に混じって 手伝っている。
園美: 「ほら、急いでください。 さく... じゃなかった、瑠美ちゃんのママさん。 早くお皿を並べてくださいな。」
さくら: 「はううう。 か、雷が。」
小狼: 「どうしたんだい。 雷はそんなに苦手じゃないはずだけど。」
知世: 「さっきから、雷に合わせたようにさくらママは受難なんです。」
その瞬間、ピカッと雷の閃光が走る。 それ同時にさくらの傍の食器棚の上から、 重そうな茶筒が落ちてきて... 命中。 落雷音の余韻に、さくらの 悲鳴が重なってしまった。
偉望: 「おやおや、またでございますか。」
兎たちの夕食を用意している瑠美がクスクス笑いながら一同に言った。
瑠美: 「この雷さんはね、ママの知っている子の焼き餅よ。」
一同: 「??」
瑠美: 「その子、時々遊びに来ているみたい。 かなり、怒っているわよ。」
一瞬、さくらと小狼は夏休み明けの一件 (交通事故) * を思い出した。
編集者注: 「太古の娘」 エピローグを参照。
知世: 「これはやっぱり、リターンのカードさんを...」
さくら&小狼&偉望: 「くわばら。くわばら。」
そこへもっとすごい雷が響いた。
園美: 「さぼらない! 小狼パパとあなたは、お皿を並べて! 知世は、サラダの掻き混ぜをして。 偉さん、お爺さまを呼んできなさい。 今日の夕食は、早くって言われてますからね。」
知世: 「お出かけですか?」
園美: 「ええ。 お爺さまが、昔のお友達のところへ出かけるのです。」
双遠山の山中は雪も治まり、満天の星空である。 除雪された山道を、 親子連れ? (瑠美と、さくらと小狼に真嬉) が歩いている。
真嬉: 「いやあ、すまないねえ。 何しろ、偏屈者だから 「歩いてこい」 と来たよ。」
小狼: 「でも、星を見るためにこんな山に来たんだから、しかたないですね。」
瑠美: 「おじいちゃんのお友達って、八の字髭のお爺 (じじ)?」
真嬉: 「おや、知っているのかい。」]
真嬉に肩車されている瑠美は、嬉しそうにはしゃいだ。
瑠美: 「うん! この町じゃ有名よ。 年がら年中、白衣をきて自転車で町に 下ってくるもん。」
さくら: 「その自転車で、この道を行き来してるの。」
かなりの勾配で、道は果てしなく続いていた。
深夜、高度通信研究所・オペレーションルームには、一人、 コンソールに向かっている人影があった。 中川博士である。
聡: 「もしも既存の空間に別の重力場が有れば、クロンメルト彗星は 計算された近日点を通らない。 となれば彗星の出現時刻にはズレが生ずる。」
彼はコンソールから入力を繰り返し、コンピュータに命令を下した。 その結果、 画面には新しい曲線が描かれ始めたが、その動きは遅かった。
夜の双遠山の山中、吹雪が出し抜けに始まった。 瞬く間に周囲の景色は 白一色となり視界が効かなくなった。
真嬉: 「おわ!」
視界を失った真嬉は、膝を崩した。 それでも、瑠美を護る決意は 変わらない。 懐に彼女を抱きしめ、必死に雪から護ろうとしていた。
さくら: 「お、おかしいよ。 急に吹雪なんて。」
小狼「さくら! カードを、カードを召還するんだ!」
さくら: 「はい、で、でも... 誰! 誰かが呼んでいる...」
小狼: 「何だって! 火神」
李家の札が炎となって、一同を護るかに見えた。 だが、吹雪の勢いはもっと 激しかった。
声: 赤ちゃん... 私の赤ちゃん... どこ? どこにいるの...
その切ない心の声に、さくらは震え上がった。 我に返った彼女は封印の 鍵を取り出し、召還の呪文を唱えた。
さくら: 「星の力を秘めし鍵よ、真の姿を我の前に示せ。 レリーズ!!」
巨大な魔法陣が輝き、封印の杖を握ったさくらは強い信念に 導かれていた。 家族を、真嬉や瑠美、そして最愛の人を護るのだと。
さくら: 「シールド!」
強力な障壁が発生した。 続けざまに、彼女は炎のカードを召還した。 その時、 「知」 のカードが彼女に訴えた。
知のカード: 「主様! お止めください。 相手は残留思念です。 実体はありません。」
さくら「で、でも。それじゃ、どうすればいいの?」
知のカード: 「シールドを召還したまま、瑠美さんを護っている姿を 見せればよいのです。 あれを安心させるのです。」
カードの助言は正しかった。 やがて吹雪は治まり、噴き上げられた雪が 治まって行くと、ボンヤリとした人の形に収束していった。 その幻は、美しかった。 透き通るような白い肌と、純白の髪、優しい微笑みは、 さくらに母の思い出を呼び覚ましたほどだった。
さくら: 「きれいな人。」
美しい幻が消え、もとの道が見えると、さくらは感嘆したように言った。 それに 対して小狼は呆れた。
小狼: 「さくら、今のがなんだか知っているのかい?」
さくら: 「ほえ? 何なの。 小狼君。」
小狼: 「雪女。」
満天の星空の下で気絶する人は珍しい。
双遠山山頂、野崎の私設天文台では、瑠美の言っていた八の字髭の老人が 大きな笑い声を響かせた。
真継: 「がっははははは! やっぱり出たか。心配いらんと思っていたので 迎えに出なくて、アイムソーリーよ、ゆるしてちょう。」
子供達は頬を膨らましていたが、その実、暖かいミルクが 嬉しかったらしい。 それでも、さくらには、老人が 狗奈王* に見えた。
編集者注: 「太古の娘」 を参照。
小狼: 「おじいさんは、ずっとこの天文台にいて、研究しているんですか?」
真継は微笑んだ。 少年の質問には、純粋な憧れが感じられた。
真継: 「ある星と、再会したかったんだよ。 彼女と前に逢ったのは 五十六年も前、君の母国との忌まわしい戦いの最中だった。」
さくら: 「星の世界って、広ーいんでしょう。 また、逢えるなんて。」
真嬉: 「さくらちゃん。 この男はね、思いこんだら一生懸命、他のことは 何も見えないんだよ。」
真継: 「こんな、偏屈男を真嬉は理解してくれた。 おかげで、明朝には再会が果たせそうだ。 私たちだけだよ、これを知っているのは」
真嬉: 「では、世間でいっているのは」
真継: 「あれは、計算ミスさ。 重要な点が抜けている。 さて、用意はいいかね。みんなには、素晴らしい星界をご覧に入れよう。」 スリットが開いて、冬の寒風が入り込んできているが、 子供達は嬉々として望遠鏡を覗き込んでいる。
さくら: 「うわーーーっ。 この青い星、綺麗。」
真嬉: 「日本では昴 (スバル) という、若い星の集団だよ。」
小狼: 「この星、すごい明るさですね。」
真継: 「シリウスは全天で一番明るく、しかも太陽系に近い。 9光年しか 離れていない。」
さくら: 「9光年って、何ですか?」
小狼: 「光の速度で、9年離れたところにあるのさ。 つまり、今見ているのは、 9年前の姿なんだ。」
さくら: 「じゃあ、この光は、あたしと小狼が出会う前に星を出発したのね。」
望遠鏡は子供達の願いに従って、次々に珍しい天体を巡った。 最後に 辿り着いたのは、美しい星雲だった。
瑠美: 「この星、見たことある。」
小狼: 「有名だからな。オリオンでしょう、野崎さん。」 瑠美: 「違うの! もっともっと、近くから見た気がするの。 傍に、真っ赤な星があって...」
さくらは、心情的にはもう立派なママである。 瑠美の目尻から涙をぬぐい、 優しく抱きしめる様は満点だった。
さくら: 「おじいさん。 とても綺麗でした。 あたし、みんなと一緒に、 また来たいです。」
時計は、いつの間にか翌日を廻っていた。 それを合図に子供達は、 暖かい部屋へ下がり、ドーム内には老人二人が残った。
真嬉: 「さてと、では検証させてもらおうか。」
真継: 「わしの計算に誤りはない!」
望遠鏡がゆっくりと回転し、筒先を床に向けた。
真継: 「これで、あいつの動きに連動した。 地平線上に出るまで、一丁やったるか。」
老人達が将棋を差し始めた頃、世界中の科学者が大騒ぎを始めているとは 誰が予想しただろう。
広大な宇宙空間、真っ赤な巨星を臨む宇宙船の艦橋に一人の女性がいた。
女性: 「艦隊司令より各艦長へ通達。 第2時限より順次、スターゲイトに突入。 ワープインせよ!」
早朝の天文台のドームの中、老人二人が眠りこけていると、望遠鏡の モニターには彗星が鮮やかに映っていた。 それを、いつの間にか起きて来た瑠美が 見つめていた。彼女の愛らしい顔には、不安だけがあった。
瑠美: おかあさん。あたし、怖い。怖くてたまらないの。
ちょうどその時、高度通信研究所のオペレーションルームでは、 無精髭を生やした中川聡がモニターを見つめていた。 周囲の ディスプレイはほとんど彗星の画像を映していた。
聡: 「やはり、野崎博士の予言が当たったな。見事なものだ。」