星界の門

作者: deko

第2話: 親友

友枝町の高級住宅街にある大道寺家では、 この家を管理しているメイドさんが数人と、 SP隊のお姉さんがドアの外から居間に聞き耳を立てている。

メイド1: 「今日は久方振りに、ドンパチ有りそうね。」

SP嬢1: 「本当。 旦那さんも悪い時に帰ってきたようね。 落ちるわよ! 雷が。」

メイド2: 「その点、知世お嬢様はしっかりしてらっしゃるわ。」

SP嬢2: 「しっ! これからいいところなんだから。」

室内の暖炉では薪が燃えているが、それ以上の熱気がこの家の女主人さま からほとばしっていた。

園美: 「知世! あなたは、自分の立場が分かっているの?!」

知世: 「はい、お母様。」

落ち着いた口調で答える一人娘に、うんうんと頷いているのは、 白衣の男性。

園美: 「あなた! ただ、頷いているなんて。」

お父さん: 「園美さん。 ここは、知世さんの気持ちを...」

お父さんの抗弁も、園美さんの鋭い一瞥に沈黙を強いられる しかなかった。 知世は掌を胸に当てて父母に向き直った。

知世: 「お母様。 お父様。 たしかに、その専門の学業を選択すれば、 それなりの知識も経験も身に付くでしょう。 でも。そんなことよりも、 私はさくらちゃんと、李君との大切な時間を取ります。 なぜなら、人生とは人と人との出会いこそすべてだからです。」

お父さん: 「そうだよ、知世。」

園美: 「知世! じゃあ、あなたは一生、みんなとの時間だけを求めるの? 昔から言うでしょう! 『遇うは、別れの始まり』だと」

知世: 「私にも、成し遂げたい夢はございます。 でも、そのためだけの特別な 勉学はいたしません。 今のままで、十分ですから。」

園美さんは、ものすごい顔でドアのところまで行くと、隠れている娘達を 承知しているかのように言った。

園美: 「聞き耳立てていないで、お茶を持ってきなさい。喉が渇いたわ。」

大道寺家の女主人は、メイドさんたちのいなくなる気配を確かめると、 ため息をついた。

園美: 「この頑固なところはどこからもらったのかしら... あなた!!」

習慣からか、園美の怒声でお父さんは直立不動になってしまう。

園美: 「責任取って頂きますよ。」

知世は母の許しを直感し、父親に向かって親指を立てた。

お父さん: 「えっ! つまりその... 私は研究に...」

園美: 「家族サービス! あなたは、私に会社の激務を押しつけて、 今まで、さんざん研究室で喜楽を満喫していたんでしょう。」

いかに同盟軍とはいえど、この問題に関しては知世とて母と同意見だった

知世: 「ええ! たまにはお父様も、ご苦労なさって欲しいですわ。」

お父さん: 「と、知世さん。」

園美: 「お爺さまの山荘。 来週から、さくらちゃんも行くんですからね、 たまには、私だって...」

すばらしい妻と娘を持った、この恐妻家には当然の報いだった。


双遠山 (そうえんざん) 山麓の峰々は真っ白い雪に包まれ、一面の 雪景色の中に、白亜の高層建物がそびえたっている。 守衛が 守っている門には「高度通信研究所」の看板がある。

高度通信研究所の所長室では、所長の中川聡と秘書の美佐子が打ち合わせを している。

美佐子: 「南米、ペルーからの報告では、システムの稼働は順調とのことです。」

聡: 「よろしい。 ところで、南アフリカのほうからは、 新しい報告は入っているのかね。」

美佐子: 「ブラケット教授は、期日までのセットアップは不可能と...」

聡は手にした報告書を思わず握りしめる。 焦燥感に取り憑かれた 男である。

聡: 「そんな報告はいらん! 期日は期日だ。 ペルーのエルナン博士と 私と彼との約束だ。」

美佐子: 「灼熱のカラハリ砂漠です。 とても冬至までには間に 合いそうもありません。」

中川聡は背景の世界地図を指さす。 そこには、大きな3角が 結ばれている。 日本、ペルー、そして、南アフリカ。

聡: 「3個の与えられた点が無くては位置決定すら不可能だ。 教授には、 私からもメールを送ろう。」

そして、自分の仕事に取りかかろうとしたが、秘書がまだいるのに 気付かなかった。

聡: 「ほかに何か?」

美佐子: 「あの... 瑠美ちゃんが、最近登校していないとの連絡が。」

聡: 「家には、帰っていないんだ。 ありがとう。」

それ以上の会話は出来なかった。 今の聡には娘のことに関与したくないと 願っているのが、彼女には分かっていた。


双遠山スキー場の純白の世界を、色とりどりの模様が乱舞している。 遠景の 山々は白銀の峰ばかりである。 さくらが、斜面を滑走している。 小学校の頃に比べて、別人のようにストックを捌き、 美しいシュプールを描いている。 ウェアのフードからケロが首を出していた。

ケロ: 「なかなかのもんやないか。 運動神経がええと得やなあ。 それに引き替え...」

二人の前を、李小狼が恐ろしい形相で通りすぎる。 どう見ても、スキーに 身体が運ばれている様子である。

さくら: 「あ! し、小狼君!」

時はすでに遅し。 ものものしい地響きと共に悲鳴がこだました。 そこへ、 真嬉おじいさんが慎重な滑り方で、少しづつ子供達方へ近づいてきた。

真嬉: 「ふう! やっぱり雪は気持ちいいね。」

雪だるまと化した小狼を見てクスクス笑い、さくらと二人で、少年を助け出した。

真嬉: 「この町には、私の親友がいるんだ。 あの山のてっぺんに銀色のドームがあるんだが、見えるかな。」

先程のスキー場荒らしと少女が目をこらすと白銀の山頂に、 きらきら光る建物があった。

真嬉: 「久し振りに親友が会いたいというのでここへ来たんだが。 二、三日したら訪ねてみたいな。」

小狼: 「あれが天文台ですか? 大きな望遠鏡があるんでしょう!」

さくらは二人の話よりも、別のことに関心を奪われていた。

小狼: 「どうした! さくら!」

さくら: 「うん、あれなの...」

彼女の指さした方向には、雄大な森。 その中から突き出したかのような 巨大パラボラアンテナがあった。

真嬉: 「宇宙を介して世界中とお話しする施設だよ。 名前は 高度通信研究所 と いったかな。」

さくら: なんなの、このイヤな予感は...

その時、三人は銃声を聞いた。 同時に、女の子の悲鳴も。

さくら: 「お爺さま!」

真嬉: 「馬鹿な! ここはスキー場もある。 禁猟区のはずだ。」

小狼: 「行こう! 女の子の声も聞こえた。」

三人に答えるように再度銃声がとどろき渡った。


雪煙を上げて白い影が林の中を疾走していた。 耳がしっぽの先まで 届くほど長く、美しい青い瞳を持った雌兎だった。

兎: ラビッ太、助けて! 瑠美は、間に合いそうもない。 迂闊だったわ!

ラビッ太: 今行くぞ、ラル! だが、最後の最後まで 「力」 を使うな。

雪の中に潜り込んだラルは聞き耳を立てながらテレパシーを返した。

ラル: 弾が、二、三個 肺に入ったらしいわ。 猟師は犬を連れている。 ああ、なんてイヤらしい奴らなの。

雌兎の目の前を猟犬が走り込んできた。 そして、その優れた嗅覚で獲物の 臭いを嗅ぎつけた。 遅れて、初老の猟師がやってきた。

猟師: 「散々手を焼かせおって。 お前らがいるから、森が荒れるんだ。 観念せい!」

犬たちが円陣を組んで吠えているなか、猟師は喜色満面に猟銃を構えた。 その時、 ピンク色の塊が飛び込んできた。

瑠美: 「やめて!」

ピンク色のアノラックを被った女の子が猟師とラルの前に立ち塞がった。

猟師: 「どくんだ、お嬢ちゃん! こいつのせいで、森の兎たちが増えすぎた。」

瑠美: 「でも、ラルは悪くない! 小さな仲間を守って、何が悪いの。」

頬が、 血に染まろうとも意に介すことなく、そのまま彼女は血に染まった雌兎を 抱き上げた。 そこへ、真嬉おじいさんと、さくら、小狼が到着した。

真嬉: 「見逃してやってくれませんか。」

猟師: 「こ、これは、天宮の会長さん!」

さくらと小狼が瑠美のそばに寄ろうとしたが、女の子は兎を抱きしめたまま 拒絶した。

さくら: 「大丈夫よ。あたしたち、あなたとウサちゃんのお友達になりたいの」

瑠美は、真嬉老人と猟師を怒りに染まった目で睨みつけた。

瑠美: 「大人達はずるい! みんな、ラルや森の仲間達のせいにする。 森はみんなのものよ。」

小狼: 「でも。そのままじゃ、君のラルは死んじゃうよ。 助けなくちゃダメだ。」

すでに、雌兎はぐったりしていた。 そこではじめて瑠美は、 自分の友達が大変なことに気づいた。

瑠美: 「ラル、死んじゃうの?!」

さくら: 「大丈夫!お姉ちゃんに任して。 絶対大丈夫よ。」

真嬉老人と話がついた猟師と猟犬が引き上げると、 瑠美は安心したのか、しゃがみ込んでしまった。 そこで、 真嬉が軽々と抱き上げた。 さくらは自分のヤッケを脱ぐと、 それで雌兎を包んで抱きしめた。

小狼: 「さくら、この耳、見たことないか?」

さくら: 「それは後よ。 早く、お医者様に見せなくては。」

その時、彼らの頭上に光点がやってきたことに誰も気つかなかった。 無論、 小狼のヤッケに隠れたケロも。


高度通信研究所、システム管理室で科学者や技術者がコンピュータに 向かっている。 中央のスクリーンには外の景色が映っているが、 遠景にスキー場が見える。

技師: 「データ中継衛星とのリンクが完了しました。 これで、南米ステーションとも同期調整が出来ます。」

科学者: 「アフリカステーションからの、割り込みロスを計測中。」

中川聡が部屋の隅から室内を見渡していたが、心は此処に 有らずという感じで、秘書が入ってきても、ろくに顔を上げない。

美佐子: 「所長、地元警察から連絡がありました。 瑠美ちゃんが、 保護されたとのことです。」

聡: 「ふむ、システム欠損は防げたな。 で、今はどこにいるんだ?」

美佐子: 「天宮の御老人が、山荘にお連れしたとの伝言です。」

聡: 「そうか! よし、アポを取ってくれ。 明日にでも、「計画」 について、 もう一度説明したい。」

彼女は、そのまま部屋から退出して、ドアから一歩出るや、怒りの声を上げた。

美佐子: 「まったく!!なんて人なの」


天宮家の山荘につくと、さくら、小狼、真嬉老人が雪上車から降り立ち、 中で待っていた人たちが出迎えた。

知世: 「まあ! お帰りなさい。 素敵なご一家ですわ!」

園美: 「本当! 知世も早くいい男を捕まえるのよ。 そして、 逃げられないように、しっかり首に縄結んでおくんですよ。」

お父さん: 「そ、園美さん。 まだ早いいって... どうしました!」

冗談を受け付けない一同に向かって、お父さんが尋ねた。 彼はさくらの抱いている 長耳兎を見るや、足元の鞄から聴診器を取り出した。 その手際の良さに、 さくらと小狼は、呆気にとられた。

知世: 「お父様、若い頃は獣医志望だったんです。」

その言葉通り、手際よく聴診器を当てている姿は堂に入っていた。

お父さん: 「肺に傷を負っていますね。 たぶん弾が残っているみたいですから、 一刻も早く取り出さなくては。」

周囲の雰囲気に呑まれて、園美はオロオロしているところを旦那に 呼び止められた。

お父さん: 「園美! お湯を沸かしてくれ。 それから、救急箱があったね。 用意してくれ。」

日頃のカカア天下はどこへやら、早速、支度に飛び回り始めるところは、 さすが夫婦である。 そして、もう一人。

偉望: 「お疲れ様でした、小狼様。 あの、失礼して、私めもお手伝いして よろしいでしょうか。」

さくら: 「偉さん。 お手伝いできるの?」

偉望: 「はい、さくら様。わたくしも、医術を学んでおります。」

全く奇妙な同窓会である。 全員が自己紹介することなく、想いを一つに 動き回っているのである。


夜の町中、雪道を乗用車が走っている。 車中には中川聡と秘書の美佐子。

美佐子: 「申し訳ありません。 結局、アポは取れませんでした。」

聡: 「気にしないでくれ。 瑠美がアポ代わりになるし、そのほうが好都合だ。」

そういいながら彼はたばこを取り出した。 傍らの秘書にとって、 それは久し振りの出来事だった。

美佐子: 「よろしいのですか? 奥様と約束なさったと伺いましたが。」

聡: 「私は、「計画」 の為になら嘘つきにでも悪者にでもなる。 忠告は 嬉しいが黙っていてくれ。」

煙を出すために開けられた窓の向こうには、満天の星が輝いていた。

聡: 俺たちは、本当にこの世界でしか生きられないのか? そんな筈はない! いまこそ千載一遇のチャンスだ! 逃してたまるか!


深夜になって、天宮家の山荘、暖炉の側で瑠美が眠っていた。 彼女の 腕の中には、包帯を巻かれたラルを収めたバスケット。 そこへ、 三つの小さな影がやってきた。

さくら: 「可哀想に、泣きながら寝入ったのね。 瑠美ちゃん。 お姉ちゃんがお友達を助けてあげるからね。」

知世: 「お父様の言うには、「弾は摘出した。あとは、朝まで持てば大丈夫」と 言ってましたけど。」

小狼: 「あの『ライフ』を使うんだな。」

さくら: 「反対なの、小狼君は?」

小狼には分かっていた。 自分のガールフレンドがどんなに強情で優しい愛情の 持ち主であるか。

知世: 「それでは早速始めましょう 「カードキャプターさくら 必死の看護編」 ですわね。」

さくらはため息をついた。 やっぱり、知世は知世なのだと。 彼女は封印の 鍵を取り出し、召還の呪文を唱えた。 その時、小狼は窓の外から 放射される害意に気付かなかった。 次の瞬間、窓ガラスを破って、 丸太が撃ちこまれた。 間一髪、ケルベロスが主人の前に 立ち塞がった。 見えない力で撃ちこまれた丸太は、一瞬にして 床にたたき落とされた。

ケルベロス: 「誰や!! 小僧、こ、こいつは...」

入ってきたのは、美しい長耳を持った雄兎だった。 いつかの校庭で 出会った時のように青い目を輝かせていた。

ケルベロス「う、うわーーー」

ケルベロスの身体が目に見えない手によって持ち上げられ、 隅のソファに叩きつけられた。 小狼はとっさに剣を召還し、 さくらを護る体制に移った。 同時に、室内の家具が見えない手によって 持ち上げられ、二人の周りを包囲したのだ。

小狼: 「こ、これは一体?」

ケルベロス: 「奴はテレキネシスを使っている。 念力や!」

さくら: 「小狼君! あたし、力を 『ライフ』 に注がねばならないの。 我が配下たるライフよ、我の力を汝の力と成し、傷ついた命を守りぬけ!!」

操られた家具達が一団となって襲いかかってきた。 一閃、小狼の剣が 椅子を切り払った。 室内はもう戦場である。 かつての外祖カード、 『ライフ』が召還され、さくらの発生させた魔法陣が、部屋の中に 巨大な場となって輝いた。

雄兎: やめろーーーっ! ラルを傷つけるな!

雄兎の声が聞こえたように、さくらには感じた。 だが、それで躊躇する わけにはいかなかった。 柔らかな光がカードキャプターを包み込み、 やがて雌兎をも包み込んだ。 『ライフ』のカードがゆっくりと脈動すると、 魔法陣も連動するかのように明滅した。

小狼: 「すごい! 魔法陣が、さくらの力をカードに注ぎ込んでいるんだ。」

ケルベロス: 「ごっつう力や! おい、お前。 この前の借りを返させてもらうから 覚悟せえや。」

雄兎: だまれ! おまえらこそ。

対照的な二匹の獣が互いに飛びかかろうとした。 その時、 魔法陣の中から、ウインディとウッドが召還され、獣たちに襲いかかった。

さくら: 「封印の獣ケルベロスよ、長き耳を持つものよ。 この場で争い合うことは許さない。」

知世はずっと部屋の隅からビデオを収録していたが、親友の言葉を聞いて スイッチを切った。 何故かは判らなかったが、この場がとても神聖な 場面であるような気がして、自分の行いがその神聖さを汚すような 気がしたせいかもしれなかった。


翌朝、幸せな瑠美の頬をラルが舐めていた。テーブルの上では、 縫いぐるみのふりをしたケロを睨みつけているらしい、 雄の長耳兎がいる。 いささか、どころか大変にぎやかな 朝食の席となったテーブルから、みんなが祝福するように見ていた。

瑠美: 「おじちゃんとお姉ちゃんに、ラルがありがとうって言ってる。」

お父さん: 「光栄の至りだね。 良くなって嬉しいよ。」

さくら: 「本当? 兎さんが話せるの?」

瑠美: 「うん! それから、ラビッ太がゴミだらけにしてごめんねって。」

途端に、さくらと小狼は真っ赤になった。 それとは反対に、 周りの人が笑い出した。

偉望: 「ところで、お嬢さん。 あなたのお名前は?」

瑠美: 「あたし、中川瑠美です。 こっちの怪我したのが、ラル。 あっちのがラビッ太。 あたしのお友達で、お兄ちゃんと お姉ちゃんみたいに、相思相愛です。」

真嬉: 「それが本当なら、すごいね。 お嬢ちゃんは、動物たちの心が分かるんだ。」

昨晩、この場に居合わせなかった大人達だけは信じなかった。


高度通信研究所、パラボラアンテナの真下、幻想的な雪景色の中に 中川聡が立っていた。 早朝の冷気の中なのだが、気にした風もなく日の出を 見ていた。

聡: 「美子。 いつか私は... あの子のために、喜んで命を投げ出すつもりだ。 そのときは... 瑠美を頼むよ。」

離れた車中から美佐子が心配な顔で見守っていた。


次回予告: 仙人と王女様

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