カードキャプターさくらはCLAMP原作の作品です。
原題 Captured By You
作者 Sakura aka Michelle
翻訳 Yuki Neco
木之本桜には、校庭で繰り広げられる行事がさえぎるものもなく保健室の 窓から見えていた。 学校中が忙しそうに校庭に集まって年に1回の地方のサッカー大会に出場する サッカー部の試合を応援していた。他の女性とたちと同じように、 さくらも彼女の注意を惹く、というより、思いこがれる一人の選手だけを もの思いに見つめていた。
李小狼という名の彼はサッカー部のキャプテンをしていた。さらに、友枝高校の 女性とたちが認めるもっともカッコいい男子生徒だった。人気者がゆえに 彼はどこにいても常に男子や女子のファンで囲まれ、それがクラスメートである にも関わらずさくらを小狼 に近づくことを不可能にしていた。
「あたしもそばで応援さえできたら。」 さくらは窓枠にひじをかけて窓に もたれかかりながらため息をつき、不快感を募らせながら頬を右の手の ひらに沈めていった。
「ここから少しでも姿が見えることを喜んではどうですか。」 クラスメートで いとこにあたる大道寺知世が脇から意地悪そうに言った。 知世は保健室で 選手たちの応急処置のための救急班として待機させられていることに不満そうな顔を さくらに向けていた。 むしろ、さくらが知世に救急班に加わるようお願いして、 その栗色の髪をした愛しく離れることのできないいとこの頼みを断ることもできなかったのだ。 「おかげで私はエリオル君の応援ができなくなりましたが。」 サッカー部にいる彼氏のほうを横目で見ながら知世は不平をこぼした。
さくらは突然、窓のそばから離れていらついたように頭をかき乱し、厳しい表情で 知世を振り返った。 「クラスのみんなが、こんな大きな行事にあたしを 救急班にするなんて信じられない! だって... あたしがチアリーダーだから、 保健室なんかに囚人のように閉じ込められているより、グラウンドにいた方が 役に立つって、みんなは知ってるくせに。 意地が悪い。 自分を惨めに思わずに 心おきなく李君を応援できる場所がグランドなのに。」
「さくらちゃん、もっと前向きに考えましょう。」 グラウンドでサッカーを するエリオルを目で追いながら知世は助言した。 「さくらちゃんがチアリーディング チームにいるとサッカー部は不利で、救急班にいてグラウンドにいなければ 李君の注意はチアリーディングのキャプテンであるさくらちゃんでなく 他のファンの人たちに向けられるのですわ。」
さくらはいとこが言ったことに吹き出した。 「ちょっとぉ... あたしが極端に引っ込み思案だってみんなが知らないと思ってるの? あたし、緊張するとどもっちゃうし、何も考えらなくなるの。 それは 自分でも良くわかってる。 人前に出ないほうがいいってことを。 でも、チアリーディングでチームと一緒に応援をしてるときは違う... 副キャプテンがキャプテンの仕事のほとんどをやってくれるけど... あたしが緊張すると普通にしゃべれなくなるから...」
「社会不適合者」 と知世はさくらに舌を出しながら言葉を足した。 「李君とお話したいとお思いなら、その性格は直したほうがよろしくてよ。 それから、そのいらいらするような子供っぽさもね。 本当に処置なしですわ。」
「そんな話をしないで試合を見ててよ。」 さくらは口を挟み、 部屋を歩き続け、すべてのことに不平をこぼしながら、見物人が大勢いるあの場所に いきたいと思い続けていた。 「もとより、李君はあたしなんか 見てくれないし、それであたしが李君となんて思い描くこともやめてよね。 李君はあたしの単なる片想い。 あたしはそれでいいんだから。」
「マイナス思考! 李君に気持ちを伝えられれば両想いにもなれますのよ。」 知世はそのように言い返すと、グラウンドで起きた何かに観客が 騒動を起こしているものをみてはっと息を飲んだ。 「大変ですわ! 李君が お怪我を!」 と知世が声を上げると、さくらの注意はグラウンドに移った。
「なんですって?」 さくらは驚いて大きな声を上げ、様子を良く見ようと窓際に 飛び移った。 確かに、小狼 はグランドに倒れていて、手を目に当てていた。 「大変なことになったみたい。」 さくらは心配そうに言いながら、 小狼 の頬を血が流れていることに気づいた。
「でも本人は、すぐに救急処置を必要としているようには見えませんわ。」 知世はそのように言いながら時計を見た。 あと数分で試合終了、しかも、 友枝高校がリードしている状態。 「こんな大事なときにキャプテンがフィールドから いなくなるのは良くありませんわ。 そうなるとチームの士気がなくりますから。」
小狼が大丈夫でもないのにチームメートに自分が大丈夫だと言い聞かせているのを 見るとさくらは胸が締め付けられる思いがしていた。 彼はまだ出血を止めようと 傷口を手で押さえていた。 さくらは小狼の心配をせずにいられなかった。彼は 学業もスポーツも一生懸命だった。他の人は小狼が天才だとか思っているかも しれないが、小狼の努力の成果だとさくらは知っていた。 学校が始まらないうちに 小狼が近所を走っているのを見つけたことがあった。 それから、さくらは家の前を 小狼が走って通り過ぎるのを必ずひと目見るために早起きをするようになったのだ。 だから彼のような人を好きにならないなんてありえないことだった。 しかも、小狼は誰にでも親切だから、さくらもそこを良く思っている。
小狼が手をどけて目をパチパチさせながらチームメイトを見ながら 試合を続行できると言い聞かせているのを見て、さくらは「血が出てる。」と つぶやいた。 「本当に痛そう。」
「試合はもうすぐ終わりますわ。」 知世は窓際までまっすぐ歩き、申し訳 なさそうにさくらを見ながら言った。 「私は観客席に行きますわ。 エリオル君が私を探すかもしれませんもの。 ごめんなさいね、さくらちゃん。」
知世が彼氏に会いたくて部屋を早く出ようとうずうずしているのがみえみえ だったので、さくらは笑ってしまった。 「すまないと思ってないでしょ。」 そういうと、いとこの顔がすまなそうな表情になったので、さくらは ちょっと得意気になった。 「行っていいよ。カレシを待たせちゃダメでしょ。」
「ありがとう!」 知世はさくらに飛びついてギュっと抱きついた。 「さすが、さくらちゃん!」
さくらは保健室でふくれっ面をした。試合はもうすぐ終わるというのに、始まってから 誰一人保健室に現れていない。さくらは、保健室を飛び出してグラウンドにいる 小狼に応急処置をしたい衝動に駆られていたが、そうなると彼女が嫌いな脚光を 浴びることになってしまう。チアリーディングチームのキャプテンというのがさくらの 限界であり、何人もいるうちの一人として演技できる、ただそれだけだったのだ。 それがたった一人となると、大勢の前で1秒たりとも演技なんてできないのだ。 さくらはその恐ろしい考えに身震いし、意識の集中をサッカーの試合に引き戻した。
審判の甲高い笛の音が、試合の終了、そして、年に一度のサッカー大会の終了を 宣言した。あらゆる方向から観客が立ち上がって拍手の大きな音が鳴り響くのを聴いて さくらは嬉しくて飛び上がった。「友枝高が優勝したんだ!」 さくらの目は ひとりでに、喚起の声を上げるチームメイトに囲まれた小狼を探した。 そのキャプテンは笑いながらチームメイト一人ひとりとハイファイブをし、 観客を振り返って手を振った。
エリオルは力強い腕を小狼の肩に回し、いたづらに小狼の髪をクシャクシャにした。 小狼は反射的に大笑いし、エリオルをくすぐってグラウンドを追いかけた。 エリオルはグラウンドのそばで知世が手を振っているのを見ると、小狼を無視して 彼女のもとに走って行った。 知世がエリオルに抱き疲れているのを見ると、さくらは 果たして自分が好きな人にそんなことをされたことがあっただろうかと悩んだ。 知世は小狼を指差しながらエリオルに何かを言っていた。 それがさくらには 気になった。 エリオルはうなずいて、走って行き小狼に追いつくと、さくらが いる方向を指差した。小狼はエリオルが彼に言ったことに同意するかのように うなづき、グラウンドから走り出てさくらの視界から消えた。さくらは あっけにとられていた。「何を話してたんだろう?」
その一・二分後にその答えがさくらにわかることになる。 さくらの思考にいた人物が 視界に現れたのだ。試合が終わって役目を終えて返そうと手に持っていた 救急箱をさくらは落としそうになった。 そのとき、その人物が保健室に入り、 さくらは自分の目を疑い、言葉も出ずにはっと息を飲んだ。
明らかに、その人物もさくらが保健室にいるとは思わずにいたので、保健室で さくらを見た顔に驚きの表情があった。しかも保険の先生はいない。 「木之本さん? どうして保健室に?」 小狼とさくらは言葉を交わす間柄では なかったが、さくらの思惑を推し量るように尋ねた。 実は、二人は単に 名前を知っている程度で、さくらが昼休みになると人がいない場所に隠れてしまう ということではないが、お互いによく話がことがなかったのだ。 二人は道ですれ違ったこともほとんどなかったのだ。 彼は万一のことを 考えて不安を感じた。「木之本さんも怪我したんじゃないよね?」
突然声をかけられて驚いたさくらは、答えに詰まって手を大きく振った。 「ち、ちがうの! あ、あたしは、だ、大丈夫なんだけど... 本当に! あたしは... きゅ... 救急班だから... だから、ここに...」 さくらは答え終わるとすぐにひそかに表情をゆがめた。「あたしったら、 彼の前でバカみたいにどもっちゃって!」
さくらが怪我をしているわけでないことを聞いて、小狼は安心しているように 見えた。「なら、よかった。」 さくらが片づけをするために体を乗り出している 保健室の机のいすに腰掛けながら小狼は言った。「保険の先生いないけど、 ちょっと怪我したんで見てくれるかな? 後で表彰式があるんだ。 式の前に 処置してもらえって柊沢に言われたんだ。 キャプテンが顔中血だらけでトロフィーを 受け取ったらチームの印象が悪いんだって。」
さくらは小狼のことを考えると身震いをした。 それは、もしさくらが小狼で、あんな大勢の前にたってトロフィーを授与する立場に あったなら極度の緊張に襲われるだろうからだ。おろらく、たちまち失神して しまうだろう。 さくらは自分の声を信用できず、うんうんとうなずきながら、 机の上に落下して一時的に放置された救急箱をつかんだ。箱の中の一部は衝撃で 外に投げ出さればらばらと散乱していた。 さくらはガラス瓶と、綿とガーゼを 取り出して机の上にきれいに並べ、特に必要ないものは救急箱に押し込んだ。
小狼。は保健室に入ったときから、タオルを額に当てていた。さくらは少なくとも、 その押し当てる力が止血の役に立っていると思い、満足気にうなづいた。 彼女は小狼を見ると、一瞬、動きを止め、気を落ち着かせようとした。 こんな至近距離で小狼を見てさくらの心臓は高鳴っていた。このまま制御が 効かなければ、彼と少し話ができた喜びで彼の腕の中に倒れて気絶してしまうだろう。
額にタオルをしっかりと押さえつける小狼の手に少し触れただけで、小狼はさっと手を 引っ込め、さくらはその会話のない幸運なやり取りに驚いた。「落ち着いて! 落ち着くの、さくら。 そんなつまらないこと考えちゃダメ! 落ち着くの!」
さくらは傷口を調べ、それが縫うような深い傷ではないことがわかり安心した。 幸運にも出血も止まっていた。さくらは小狼の傷を洗い、やさしく傷口を 保護しようとしていた。 ピンセットを取り出して綿をつまんでガラス瓶から アルコールを注いだ。小狼を振り返ると、彼がさくらをしっかりと見つめているので さくらは赤面した。
「す、すこし... しみると思うけど...」 さくらは傷口に面を当てながら言った。 彼は理解を示すようにうなずき、消毒しやすいように少しだけ顔を向けてきた。 幸運にも、小狼は目を閉じてくれた。そうしてくれないと、真っ赤な顔をした さくらを彼は見るだろうし、その後どんな災難が起きることか。
やさしく、さくらは綿を傷口にあて、できるだけすぐに傷口から離した。 小狼がアルコールによる不快感に表情をゆがませているのを見るとさくらは躊躇した。 さくらは何も考えず、お父さんがさくらの擦り傷をきれいにしてくれたときのように 息を吹きかけていた。 そのしぐさが小狼に衝撃を与え、目を開き後ろに少し下がって 驚いた様子で彼女を見た。
「ごめんなさい、痛かった?」 とさくらは訊いて、アルコールを当てたときの 彼の反応を心配した。 「もっとやさしくするから。」
小狼が答える代わりに小さく笑ったのでさくらは混乱した。 「はじめて、俺の目を見ながら普通に話すことができたね。」と言って、小狼は さくらに暖かく微笑んだ。 さくらは瞬きして、小狼の言葉にどう反応すればよいのか わからずに、表情をなくして小狼を見ていた。いまだに、小狼は笑い続けている。 今度は、さくらの反応に対してだった。 「しかも、君のエメラルド色の瞳をこんな近くで見たのは初めてだよ。きれいな瞳だ。 隠すことなんてないよ。」
さくらは再び瞬きをし、その瞬間に目を大きく開いた。「それは本心なの? かれは... あたしの瞳をほめてくれたの? あたしの瞳を。 あぁ、あたしのハート、お願いだから 胸の中で暴れないで。 さくら、落ち着くのよ。」 自分自身と戦うのは難しく、 小狼の目から視線をそらした。「彼の目はきれいな茶色の影... 待って... なんでそんなことを? 傷口を消毒しなきゃ。」
「で、できたら... 目を閉じてて... あ、あたし... 傷口を消毒するから。」 さくらはどもりながら文章全体を言うことができた。 さくらは単語を発するたびに 力を入れて単語を吐き出すかのように表情をゆがめた。小狼が見ていると、 それはほとんど楽にならないのだ。
小狼が目を閉じるとさくらは安堵のため息をついた。これで、ほかの事に 悩まされることもなく処置ができる。アルコールを当てられるたび小狼が 身を引くので、さくらはそのたびに傷口に息を吹きかけた。傷口がきれいに 消毒されると、小狼が表彰式にいけるようにさくらはいそいで傷口に包帯を巻いた。
「終わったわ。」 とさくらは言って、処置の結果に明るく微笑んだ。 自分の顔に乾いた血液がついているのに気づくと、さくらはきれいなタオルを探し、 水に浸し、小狼のところに戻ってきた。 小狼は、さくらの言いつけを守って 目を閉じたままだった。 さくらは器用に指で乾いた血液を拭い、小狼が目を開けると 照れくさそうに笑った。小狼の開いた両脚のあいだに自分が立っていることなど、 さくらは気がつかなかった。小狼の傷に包帯を巻くうちに、小狼のそばに少しずつ 寄って行っていたからだ。
小狼は目を開くと、さくらが結果的にすごく近くに立っていることを知って、 さくらの目を見ると顔が桃色になっていた。お互いの視線が合うと、ますます 顔に色がつく。 小狼は二人の間の距離を開けようと急に立ち上がるが、その結果、 さくらにぶつかり、二人して互いに脚が絡まり床に倒れこんだ。
さくらが真っ先に倒れこみ、多い重なる二人のうちの下の部分になり、 おしりから激痛がこみ上げる。 幸運にも、なんとか小狼が腕を伸ばしてくれた おかげで、それがクッションとなり、固い床に頭を打たずに済み、脳震盪の危険 から免れた。痛みが少し和らいでくると、さくらは上を見て瞬間的にはっとした。 小狼がさくらの上に覆いかぶさっていたからだ。 さくらを押しつぶさないように ひじに体重をかけている状態で、さくらの瞳に魅惑されたかのようにじっとその 瞳を見つめていた。その距離の近さで落ち着きをなくし、さくらは不快感にもがいて みたが、小狼の体重に押されてあまり動くこともできなかった。
「あの...」 さくらは、このみっともない格好から抜け出すために小狼に 退いてほしかったが、小狼は催眠状態に陥ったように彼女を見つめたままだったので さくらはうまくしゃべることもできなかった。 「李君... あ、あたし...」 さくらは胸の前で腕を曲げて構え、小狼が辺に顔を近づけたら小狼を押しのけようと していた。それは条件反射というもの。
「マイナス思考! 思いを伝えることができれば両想いにだってなれるのに。」 さっきとも世に言われた言葉をそのまま、さくらは思い出した。小狼は まさに彼女の目の前にいる。口を開いて話せば、今その場で彼に告白すれば! 再びクラスメートの中に戻れば、こんなチャンスはめったに訪れない。 「どうしよう? こんな状態で告白? ここで?」
彼女のハートが胸の中で高鳴って、少し苦しい。さらに、おなかの中で蝶が 飛んでる。こんな感情にはまり込んでいくのは、さくらには初めての出来事だった。 勇気を絞って、大きなエメラルド色の瞳を瞬きして目の前の少年を見た。 落ち着こうとして手のひらを自分の胸に当てて、そうすればどもらずに話しができる。
「李君... あたし...」 と言って、言葉を続ける前にさくらは胸に つっかえているものを飲み込んだ。 さくらが名前を呼ぶと小狼は瞬きをして、 二人の間の熱で焦げてしまったかのようにさくらから飛び退いた。 さくらは小狼の腕をつかんで、取り乱した彼を引き止め、せっかくのチャンスを 無駄にしたくないと思っていた。 「あたし... その... 言いたいことがあるの。」
この言葉を聴いて小狼はせき払いをして、「え?」 と訊いた。 小狼が部分的に さくらの上にもたれかかって寝そべっていることを考えると、どこかぎこちない 姿であった。 小狼は、またさくらの瞳におぼれて正気を失いたくないので、 さくらから目をそらした。その代わりに彼の腕をつかむ手に目をやり、 腕に伝わるぬくもりを感じていた。
「あ... あたし...」 さくらは話し始めたものの、言葉が見つからず、 どもってしまった。 「あ...」
ハリケーンように力強く保健室のドアが開き、二人はその音に飛び上がった。 小狼は膝をつく姿勢に起き上がり、さくらは誰がドアを開けたのか確認できない うちに、なんとか起き上がって小狼の肩の向こうを見た。 知世の興奮した 声が聞こえた。
「さくらちゃん! 李君の声がしましたわ。 告白なさっ...」 知世は途中で言葉を 止めて、恥ずかしそうに微笑んだ。 「あら、李君。 お元気ですか?」 と、ぎこちなく文章を終わらせ、床に膝を着いている二人を見つめた。
さくらは床に頭を打ちつけて穴を掘り、誰の目にも触れないようにその穴に 隠れてしまいたいと思った。 いまだにさくらは小狼の腕をつかんでいたのだが、 とっさに腕を引っ込めた。 恥ずかしさが頬に満ちて、みっともなさで目に涙が こみ上げるのを感じた。 知世の突然の声に驚いて、小狼はさくらを見返した。 さくらは涙を堪えて歯を食いしばり、あわてて立ち上がると知世が大声で 呼ぶのを振り切って保健室から走り去った。 小狼が浮かべたショックの表情が まだ記憶に新しく、それが彼女を傷つけた。面と向かって拒絶されないうちに その場を立ち去ろうとさくらは感じた。
あてもなく走っていると、さくらは屋上にたどり着いた。 他の生徒が表彰式を 見ているので、屋上に上がる途中で誰ともすれ違わなかった。屋上にいるのが 自分だけだと確認すると、ドアに鍵をかけてもたれかかると、すべるように床に 座り込み、小狼の表情を再び思い出してドアをたたきながら泣き出した。 「知世ちゃんのせりふに驚いてた! あたしが嫌いなんだ! どうしたらいいの? これから先、どうやって李君を見たらいいの?」
さくらは膝を曲げてその上に頭を乗せ、心配することなく、どんなことがあっても 小狼に会わなければこんなぎこちない状態になることはないと自分に言い 聞かせていた。 さっき保健室で小狼と話している様子を思い出せば、 さくらが彼の前でどもって縮みあがることは当然のことだとさくらは認識した。 「なんてバカだったの...」
スカートのポケットの中で携帯電話が鳴ったが、知世がさくらの様子を調べようと してかけてきたことがわかっているので電話に出なかった。問題は、 彼女がまったく大丈夫ではないことだった。小狼に包帯を巻いてすぐに 離れていればこんな感じに物事は進まなかっただろう。いや... 彼女から見えるように小狼の顔が向いていたから、そのカッコいい顔を 見てしまったのだ。 傷の手当のためによけようとして、小狼の茶色い髪の毛に 触れた感覚... 忘れることができない。
さくらは自分のおろかさに首を振り、ため息をついて空に浮かぶ白いふわふわの 雲を見つめていた。何もせずに時が過ぎるのを待つのは少し退屈であるが、 表彰式が終わって他の生徒たちが学校からいなくなってから屋上から 降りないといけない、とさくらは思った。途中で小狼か、 さくらのかなりみっともない瞬間を目撃した知世に出くわす危険を 避けたかった。
さくらが最初に屋上に踏み込んだときに比べ空がかなり暗くなってきたので 1時間そこら時間がたっただろう。学校の騒ぎは随分前に終わったのか、あたりは 静まり返っていた。さくらは座った姿勢からさっと立ち上がり、足にピンか 針を刺された感覚を感じて悲鳴を押し殺し、ドアに寄りかかってその感覚が 過ぎ去るまで待った。長い間座りすぎていたのだ。
さくらは携帯電話を取り出して留守電の履歴を見て、勘が当たっていることを 確認した。電話してきたのは知世だった。 第一の親友か家族を以外に誰が 彼女に電話してくるだろうか? そもそもそんなに友達が多く、 親しくない人と話す時もどもったりしない、なんてことがあるわけないのだ。 彼女はチアリーディングの仲間とも親しくはないのだ。社会で暮らすには 厄介な彼女のその性質を治すには時間がかかるだろう。 さくらは知世に、自分は心配要らないということと、すぐに帰るということを 急いでメールで送った。教室においてあるかばんを取りに行って、すぐに帰ろうと さくらは思った。
暗くなり始めていたが廊下に明かりは灯いてなかった。でも、屋上から教室へ 歩いていくには自然光で十分に足元が見えた。 感情もかなり落ち着いてきていた。 少なくとも家について家族と夕食を食べる頃には笑顔が戻るだろう。
教室のドアを開けて中に入った。カバンを取ったらすぐに帰るつもり だった、あえてドアは 閉めなかった。 誰かがさくらの机でうつぶせて寝てるように見えたので、 彼女は引き返してしまった。顔が見えないので、寝ているのが誰か分からなかった。 この場合どうしたらいいのか考え込んで、さくらは眉をひそめた。 起こしたらいいのか? おきるまで待つべきなのか? しかし、帰る前にカバンを 取らないといけないが、その彼がかばんをクッション代わりに寝ているのだ。 さくらは決めかねて唇をかんだ。その日は土曜日だったので、次に学校に来るのは 2日後になるが、それまでカバンを置き去りにしようかとも考えた。
ゆっくりと、寝ている人物に近づき、顔を覗き込んで見ると、その人物が分かり 息を飲んだ。 小狼だったのだ。 さくらはショックで後ずさりし、ちょっとした 物音で起こしてはいけないと思い、声を上げないように口に手を当てた。 彼女の気は動転していた。 紛れもなく、目の前の少年のせいである。 立ち去る足音でさえ起こしてしまうのではないかという恐怖のため、さくらは その場からすぐに消えてしまいたいと思った。「あたしの机で何をしてるの? どうしてあたしの机で寝てるの? どうして?」
小狼は既に制服に着替えていて、さくらは彼のすらりとした体格に 見とれてしまった。 友枝高校の制服は彼には良く似合っている。 小狼が手を伸ばせば届く位置にいると思うと、さくらの手がむずむずしてきた。 手を通して小狼の力強い腕の感触を得たことを彼女は思い出した。 数時間前に 疑わしい体勢で触れ合ったことを思い出すと頬に熱がこみ上げてきた。 さくらは首を激しく振って、その光景を頭から追い出そうとした。
「カバンの中には教科書となんでもない物だけ、大切なものは入ってないから、 カバンを置いて帰ろう。」 さくらは仕方なく、向きを変えて帰宅しようとした。 こんな近くから小狼を見つめることができるのはめったにないチャンスなのだが。 普段は、小狼の席はさくらの位置から遠く、彼を一目見るだけでも顔を向けないと いけなかった。彼の滑らかな髪に触れたい衝動に抵抗し、自分の脚にドアまで 歩くように、さくらは指令を出した。制服のブラウスを引っ張られている感覚がして さくらは瞬きをした。ブラウスが机か椅子に引っかかったのだろうか。
「遅かったけど、なにかあったの?」と小狼の声がして、さくらは声を上げた。 さくらが初めてのチャンスから逃れようとしていることに気づき、小狼は ブラウスから手を離そうとしなかった。 彼の笑顔を見てさくらは溶けてしまい そうだったが、なんとかその場所に立っていた。
「あ... あたし...」 さくらは小さくなって、ブラウスを引っ張ろうとしたが、 小狼が強く握ってて離れない。 小狼が離してくれないので、さくらは頭の上まで パニックに飲み込まれてしまった。 「お家に帰ろうと思ったの。 お願いだから... 放してくれないかなぁ。」
「それじゃ、質問に答えて。」 と、小狼は言って立ち上がった。 小狼はブラウスから手を離したが、やさしく肩をつかんで、そっとさくらの 向きを回転させて自分のほうに向けようとした。 さくらは小狼に顔を向けるのを 拒否し、そのかわいらしい表情に小狼はかすかに笑った。 二人の距離の近さに 彼女の頬は桃色に色づき、こみ上げる涙を堪えて唇をかみしめていた。
「何か用があるの?」 さくらは身をよじって小狼から逃れようとした、 小狼がしっかりと抑えているのでそれは難しいことだった。 さくらは、 誤って小狼を見てしまうと、彼がさくらを見つめ返していることに気づいた。 息を飲むと、小狼の茶色の瞳に我を失ったさくらは彼を見つめることしか できなくなっていた。
「待ってたんだ。」 と、小狼はささやくと、腕を上げてさくらの耳の後ろでさくらの 褐色の髪を挟みこんだ。 さくらはやさしく触れられたことに身をよじって、 どうしてそんな親しそうな行動をしてくるのか問いただすような表情を 小狼に向けた。 俺は大道寺さんから事前に話しを聞いてて、それで、君から その確認を得ようと思ったんだ。」
「確認?」 と、彼女はわけが分からずに言葉を繰り返した。突然、それが 何を意味しているのかが分かり、さくらは大きく目を開いた。 「告白のことだ。」
「大道寺は告白が何とかと言ってた。」 小狼は意味ありげに言ってさくらの様子を 見ていた。 それは、さくらを悲しみに落とし込むような恐怖感を煽ることは なかった。 小狼はさくらの急激な感情の動きに驚いた。 「どうしたんだ?」
小狼が予想しないことに、さくらは混乱した様子の瞳に涙をため、頬が悲しげに 下がってきた。 彼は肩をつかんでいた手を離し、さくらの頬を伝わる涙を 親指ではらった。さくらは小狼の手をはらいのけ、小狼が顔を見えないように 手で顔を覆い隠し、小狼が知ることもない理由のため泣き続けた。
「あたしがきらいなんだ。」 さくらは突然、声を上げて泣き出し、 それまで抑えていた力で小狼を押した。 小狼が黙っていると、さくらは 何度も小狼を押し続けた。
わけが分からない小狼は、目の前で泣き続ける少女を見ているだけだった。 小狼はつかみどころのない表情で、どうしてさくらがそう思うのか考えようとした。 しばらくして小狼はそのたった一つの原因も分からなく、お手上げ状態になり、 「どうしてそう思うんだ?」 と言って、自分の顔を隠すさくらの手を動かした。
さくらが瞬きをすると、さらに多くの涙がこぼれ、泣きながら引きつった声を上げた。 「だって... ひっく... 知世ちゃんがあたしに... ひっく... 告白したかって... ひっく... 訊いた時、り、李君は驚いた顔をしたんだもん。」 と、さくらは途切れ 途切れに答え、小狼の顔を見ながら、小狼が 「そのとおりだ」 と言うのを 待っていた。
「そういうこと?」 と、小狼は受け入れない様子で訊いた。
「違うの?」 と、さくらは小狼の表情を勘違いしたのかと、少しの希望を 感じながらも訊きかえした。
小狼は答えながら、かすかな笑いを浮かべることしかできなかった。 前触れもなく小狼はさくらを腕の中に引っ張って、さくらの顔を自分の暖かい 胸に当てた。 さくらはきゃっと声を上げ、突然の小狼の行動にバランスを失い なすすべもなく小狼の腕に倒れた。その結果、さくらの涙が小狼の制服の 胸の部分を濡らした。小狼の腕がさくらの小さな体を心地よい抱擁で包み込んだ。
「自分が好きだと思う人が、同じように自分のことを好きだと知って、 驚かない人っている?」 と言って、小狼は満足したようにさくらに微笑んだ。 すると、さくらの腕が小狼の腰をつぐみこみ、さくらは無意識に小狼に 抱きついていた。 さくらは既にバランスを取り戻していたのだが。
小狼の言葉がさくらの体に沈み込み、さくらの体が腕の中で硬直しているのを 小狼は感じた。 彼はさらに強く桜を抱きしめたが、さくらは抵抗しなかった。 スローモーションのように、さくらは顔を上げ、小狼の表情をうかがうと 聞こえたことと彼女が思ったことが同じことだと確認できた。 小狼は さくらに微笑み、うなずいていた。
「うん、俺も好きだ。 さくら。」 と小狼は、はっきりと言って、 さくらの下の名前を言ってその気持ちを強調した。 「そうじゃなかったら、 君をわざわざ待ってたりしないだろ?」
「あたしのこと好きだったの?」 さくらは混乱して聞き返した。 「でも... どうして?」
「どうしてって? 簡単なことさ。 と彼は、さくらの頭の頂上にキスをした。 さくらは驚いて縮み上がった。 「髪が好き。 やわらかくて、触ると気持ちいい...」
「李君の髪もやわらかい...」 とさくらは、おそるおそるささやいた。 小狼が目にキスすると、さくらは声を上げた。
「きれいな瞳だね。 吸い込まれそうだ...」 そう言うと、次は鼻にキスをして、 「かわいい鼻だね。」 と言った。
さくらは鼻の辺りをくしゃくしゃにして、小狼にも分かるくらい顔が桃色に色づいた。 さくらが離そうとすると小狼は微笑んだ。 「鼻がかわいいなんて変... あたしは 普通の女の子だし... かわいくないし... 緊張すると、ど... どもってばかりだし。 それに...」
それ以上、そんなことを小狼は聞いていられなかった。 さくらは、泣いていても、 人と話す時どもっていても、可憐なのだから。 彼はさくらの唇にさっとキスをして、 効果的にさくらを黙らせた。 さくらは驚いて小狼を見て、小狼がさくらにもたれかかった時、自分の唇に手を当てた。
「さくら、俺はそういう君が好きなんだ。」 と、小狼は地震ありげに答えた。 その言葉は言葉にならなかったさくらの心の中の疑問にも答えていた。 さらに多くの涙が目にあふれてきたが、今度は喜びの涙だった。 「李君があたしのことを。 あたしがすきなんだ!」
「俺の彼女になってくれないか?」 と、小狼はまじめに言うと、 心配そうにさくらの返事を待っていた。
さくらはその質問に時間をかけることはなかった。 彼女は幸福感を顔に 溢れさせ、待ち構えた小狼の腕に飛び込んで大きな声で答えた。 ただ一単語 だけ「はい。」 という答え。
二人は再びキスをし、二人の関係はあたらなレベルに、ただのクラスメートから
愛し合う二人へと変化した。二人は難攻不落のカップル。それは、現実になった
二人の夢だった。