太古の娘

作者: deko

最終話: 帰還

地上に落とされる日食の影に多くの動物たちの怯えた声が聞こえる。 その声は、 戦いで傷ついた人々の恐れも掻きたてた。

巫女: 「この世の終わりよ! お日様がお隠れになったら、私たちは凍え死ぬまで。 壱予様はどこなの?!」
戦士隊長: 「落ち着け! 狗国の者も、邪国の者も集落に入れ。 立てる兵士は、環濠に沿って布陣。 今こそ、本分を尽くせ。」

彼らの見上げる太陽は、すでに多くの部分を失っていた。 急速に気温が 下がり、冷たい風が集落に避難する人々を追い立てる。


狗国軍の本陣があった場所から、さくらは切ない表情で、避難する人々を 見ている。

さくら: 「ごめんなさい、隊長さん。 みんな。 こんな時に、そばにいてあげられなくて。」
小狼: 「さくら...」

彼が最愛の女性をそっと抱きしめると、それまで足下にいたホープも飛び上がって、 さくらの肩に乗った。

ホープ: 「おねえちゃん、ここの人たちが待っているのは、 壱予おねえちゃんよ。」

さくらはお人形の優しい気遣いが嬉しかった。

さくら: 「うん、ありがとう。」

この時代に来て、すっかり家族らしくなっている三人。 それは、 周囲を舞っているカードたちも同じだった。

外祖: 「こんりゃーっ! そこから先は、帰ってからやりなはれ。 ほれ、時空のゆがみが現れたざんすよ!」

集落の上にかかっている半月状の太陽が、歪んでいるのを見て 三人は息をのんだ。

知のカード: 「間違い有りません! 主様。この日食は異常です。」
小狼: 「このゆがみ! いったいなぜ起きるんだ?!」
さくら: 「小狼くん! 今は帰ることだけ考えるのよ。 フライ! 我がカードたちよ、我の身体に宿り、我の助けとなれ。」

彼女の身体に、カードたちが 「力」 の形となって吸い込まれ、 同時に 「フライ」 が発動すると美しい翼が、彼女を 天使の姿に変えた。 小狼は彼女の身体に腕を回し、頬を赤らめながら 寄り添った。

ホープ: 「出発!」

彼女の眼下には、緑に包まれた美しい自然と、わずかばかりの耕作地、それを糧に 生きる人々の家、そして、彼らが尊敬する亡き女王を宿した墳墓があった。

さくら: 「さようなら... 大好きなお婆さま。 さようなら、優しい人たち。」


邪国の神殿は、避難してきた多くの人々で一杯である。 彼らの多くは、 欠けてゆく太陽の姿に恐れおののいている。 何人かの人々は、祭具を 振りかざし楽器を力一杯奏でている。 その音色は、騒音でしかない。

戦士隊長: 早く、一刻も早くお帰りください。 壱予様。

彼がふと天を見上げると、そこには4つの点が少しずつ天を目指して昇って ゆくところであった。

隊長はとっさに敬礼をする。 その姿は鍛え上げられた武人そのものである。

隊長: 「お健やかに! 素晴らしい時を過ごしてください、もう一人の壱予様。」


21世紀の遺跡発掘現場では、ルビ−ムーンと黒ヒョウの姿となったスピネルサン、 同じく変身したケルベロスとユエが、時空の穴周辺に結界を 構成するために立っていた。 今や輝くばかりに、エネルギーが時空の 穴から噴き出し、高台に宿るさくらカード; タイム、チェンジ、 シールドたちの所まで届いていた。 結界から外れたところで、エリオルは、 周囲の人々も目に入らない様子で魔法の杖を輝かせていた。

知世: 「さくらちゃんが帰ってこれないなんて、そんな!」

歌帆は、泣き出している知世を抱いて、涙を浮かべていた。

歌帆: 「エリオルは言っていたわ。 未来から過去へと大きな時間の潮流があるって。 こちらから タイム の開けた穴から、過去に向かって落ちてゆくだけなら、 さくらちゃんも李君も、あのお人形さんも無事だろうって。 でも、逆に遡るとなると...」
壱予: 「どうなるんですか? さくらさんたちは!」 歌帆: 「時の潮流を乗り切る力がなければ、押し流される。 もう逢えなくなるのよ。」
大勇: 「見て、エリオルさんが!」

エリオルは魔法の杖を振りかざして時空の穴に近づいた。 同時に、 彼の眼鏡が輝き、遥かな時空を映し出した。 四人の姿が、日食の影の中にある 空間のゆがみの中に消えてゆくのを。

エリオル: さくらさん、遡ってくるんですね。 思い出しましたよ、あの呪文。

四人の守護者たちは、少年魔法使いの言葉に頷いた。

エリオル: 「さくらカードの主が、クロウの後継者が帰還する。 守護者たちよ! 我と共に、彼らの導きとなれ!!」

たちまち、四人の 「力」 がエリオルめがけて押しよせ、少年が目もくらむ輝きに 満たされ、彼は杖を時空の穴に差し込んだ瞬間、膨大なエネルギーが過去に向かって 放たれた。

知世: 「さくらちゃん。必ず帰ってきてください。」

傍らの歌帆は少女の呟きに驚いた。 それは余りにも、不安に 彩られていたのだ。 そして、その不安は的中した。


太陽の光球がきらめいた次の瞬間、黒い影が邪国上空を支配した。 邪国の人々は、 騒ぎ立つことを忘れ、息を潜めていた。

時空の回廊では、様々な時から目も眩むような閃光が、人々の声が 木霊する。 一方の方向へと下る流れに逆らうように、四つの影が回廊を遡っている。

外祖: 「おーい、早くしないと日食が終わってしまうざんすよ。」
ホープ: 「あの変態親父ったら、どうして、日食の時間に左右されるのかしら?」
小狼: 「わからない、あの人の言うには、時の回廊が、日食の間だけ 空間のゆがみとくっついているみたいだけど。」 ホープ: 「知のカードさんなら教えてくれるわよね? おねえちゃん。」 さくら: 「...」

小狼がさくらの異常に気づいた次の瞬間、彼女の身体から、 さくらカード達が弾けたかのように飛び出してきた。

小狼: 「さくら、どうした?!」

小狼はさくらの手を見て、驚いた。まるで老婆のように、 深い皺が刻まれていたのだ!

さくら: 「お願い、見ないで、小狼君。」

彼の抱いている女性は、明らかに老婆だった。 亜麻色の髪は白く、か細い声は、 しゃがれていた。

外祖: 「ちっ! やはり、魔力が尽きかかってきたか。 坊主、その子はもうだめだ、 放してやりな。 お前達だけでも助からなくちゃ。」
小狼: 「黙れ! さくら! さくら!」
さくら: 「小狼君、あたし... もうだめ。 カードさん達をおねが...い。」
ホープ: 「おねえちゃん! しっかりして!」
外祖: 「ぐずぐずしていると日食が終わり空間のゆがみが消える。 そうなったら一気に時の潮流が押し寄せてくるざんすよ。 そうなったら、もう、帰れなくなって...」

だれも注意を払う者はいなかった。


友枝丘陵の発掘現場事務所で、木之本桃矢が、現場の平面図を映し出したパソコンに 向かっている。 そこへ、藤隆が入ってくる。

桃矢: 「どうしました? 眠れないんですか?」
藤隆: 「どうも胸騒ぎがしてね。」

いつもの落ち着いた彼ではなく、スリッパも履いておらずに 裸足のままだった。 おまけに仮眠だったのか、しわくちゃのワイシャツ姿。

藤隆: 「なにか大変な事がおきているような気がして。 科学者失格ですね。」
桃矢: 「さくらのことですね。」
藤隆: 「はい。 私の娘、さくらさんのことです。 あの子は撫子さんの面影が...」

突然、藤隆が立ち上がる。 驚愕に染まった瞳が室内を凝視する。 そこには、 撫子の 「心」 があった。


友枝丘陵ではエリオルが時空の穴に向かって懸命に立ち向かっている。 その一方、 彼に 「力」 を供給している守護者たちは、苦悶の表情を浮かべている。

歌帆: 「エリオル! さくらちゃんたちは?」
エリオル: 「ここと弥生時代との中間で停止しているみたいだ。 さくらさんの魔力もここまでか。」
知世: 「じゃあ、もし魔力が尽きたなら...」
エリオル: 「時の迷子になる。 みんなは永久に時間線の中を放浪する。 僕は守護者たちの力をもって、100年前まで 「力」 を張り出した。 そこまで辿り着いてくれれば...」

エリオル自身、魔法の杖に支えられるようにしていた。 ここにいる人たちの 中で最も苦しいのはエリオルであることを、歌帆は判っていた。


さくらカードたちが、時の回廊で乱舞している。 いまや飛ぶことしか できなくなっている彼らにとって、主の側にいることだけがすべてだった。

さくら: 「あたし、歳を取っても、お婆さんになっても小狼君といたかった。 そのとおりになったね...」

傍らを、ホープに捕まった外祖が、喚きながら引っ張られてきた。

ホープ: 「おねえちゃんを何とかしてやれないの? だてに歳喰っていないでしょう?」

外祖は少年が少女を抱きしめているのを見てため息をついた。

外祖: 「無理だね。 ここに至るまでに、お嬢さんはかなり魔力を使っていたが、 それは太陽と月以上の属性を持つ星の力。 私と小狼の持つ月の属性の力では 助けにはならない。」
小狼: 「では、どうしろというんですか! このまま さくらの...」
外祖: 「人の心配をしている場合かね? 彼女は魔力を使い果たしたが、 我々には残っている。 今しかチャンスはないんだよ。」

小狼は怒りに染まった顔で剣を抜いた。

小狼: 「さくらを見捨てろって言うんですか!」
外祖: 「ほかに選択の余地はない。 彼女の魔力を補うことが出来るのは、 素の属性を持った魔力の持ち主、クロウ・リードしかおるまい。」

その時、さくらの腕が小狼を優しく突き放した。 彼女は白い髪と掌で顔を 覆ったまま、カード達とともに離れたのだ。

さくら: 「あたし、小狼君が好き。 だから、小狼君を巻き添えになんか出来ない... さようなら...」
ホープ: 「おねえちゃーーーん!」
小狼: 「さくらーーっ!」

ホープと小狼は彼女を追いかけた。 見捨てられたのは外祖の方だった。

外祖: 「あんたたちは、揃いもそろって大馬鹿者ざんす! 動けなくなったら、 見捨てるのがあたりまえ。 生き物の鉄則ざんすよ。」
遷のカード: 「大馬鹿者はあんただ!」

外祖カード達も大馬鹿者を見捨てて仲間の後を追った。

外祖: 「ああ! わかったざんす。 ええい! あっしも付き合う。 だから、置いてかないでーっ。 頑張るざんすよ!」

外祖がみんなに追いついた時、遙かな世界からの光が一同を 照らし出した。 それは、気高い老女の心が導く強い力だった。


木之本父子は思いもかけない再会をしていた。

桃矢: 「母さん!」
藤隆: 「撫子さん! ぼ、僕にもあなたが見えるなんて...」
撫子: 「お急ぎになって、藤隆さん。 さくらちゃんが戻ってきますよ。」
藤隆: 「はい、わかりました!

次の瞬間には、二人と霊は事務所から飛び出していった。


圧倒的な光が、時の回廊を移動するさくら達を照らしていた。 その光を浴びて、 さくらの髪が見る見るうちにもとの亜麻色の染まっていく。 そして、 皮膚の皺も退散した。

ホープ: 「おねえちゃん! マブイ。 素敵!」

そこにいるのは、彼らが知っているカードキャプターさくらだった。 瑞々しい 若さに輝く、13歳の少女、木之本さくらだった。

さくら: 「この力は... おばあさま!」
麗呼: これで、本当のお別れね。 さようなら、私の可愛いお二人さん...

その心の声とともに周囲はもとに戻った。 だが、違うものがあった。 それは 視のカードが映した遙かな時間の景色だった。

外祖: 「やっばー。 もうすぐ、月の谷間からの光が。」
小狼: 「ダイヤモンドリングですか? 日食の終わる時の。」

外祖はもう大パニックである。 さくらは微笑みながら頷いた。

さくら: 「ええ、解ってます。 十分、間に合いますよ。外祖さん。」
小狼: 「さくら! あの力ってまさか。」
さくら: 「おばあさまが来てくださったの。 さあ、帰りましょう。」

さくらが封印の杖をかざすと、小狼と外祖の玉が飛び出して一同の 真上に制止した。

さくら: 「我らは時空の旅人なり! 我らを有るべき時へ、 未来へと導け。 レリーズ!」

二つの玉は強烈な光を吐き出しながら上昇を始めた。 そして一同も続いた。


夜明けの燭光が、長時間にわたって力を集中している守護者たちを 照らした。 とりわけ、中央のエリオルは疲れ切っていた。

歌帆: 「エリオル、もう止めて!」
エリオル: 「もうすぐ、もうすぐ帰ってくる...」

膝をついた彼だが、魔法の杖は輝き続けていた。

藤隆: 「しっかりしてください!」
エリオル: 「あなたは...」
藤隆: 「もう一人のあなたです。 手伝わせてください。」

二人が杖を取ると、今まで以上の輝きが拡がった。 それに応じて、 守護者たちも輝いた。

エリオル: 「もうすぐ、さくらさんが帰ってきます。 この杖の光を目指して... 来た!」

次の瞬間、時空の穴がすばらしい輝きに満ち溢れ、輝きは天空に放たれた。 放浪者が 帰還したのだ。 最初に二つの玉が、続いて さくらと小狼が、遅れて へばりそうな 外祖をお人形が追い立てるようにして飛び出した。

壱与: 「来たわ! 行きましょう。」

邪国の壱与が連れ合いとなる若者とともに、カードキャプターの前に 進み出た。 友として同じ瞳を持つものとして。

さくら: 「チェンジ! タイム! シールド!」

高台で待っていた3枚のさくらカードが召還され、さくらと小狼、壱与と大勇を その力で包み込んだ。 彼らは、ゆっくりと上空に持ち上げられ、大きな魔法陣が 輝く中、自分の中に帰還した。

壱与: 「お帰りなさい。 みんなのことをありがとう。」

裾が破れた袴姿の壱与が、知世の縫った美しいドレス姿のさくらに 微笑んだ。 貫頭衣姿の大勇が、李家の式服に身を包んだ小狼と握手した。

大勇: 「ありがとう、小狼君。」
小狼: 「いいんですか? その傷では...」
大勇: 「うん、残りの時間を壱与のために使うよ。」

天宮総業の会長室から真嬉老人が、遺跡の中での出来事に 見入っていた。 事が尋常ではないのに、まるで気づいていなかった。

真嬉: 「お帰り、さくらちゃん。 さようなら、壱与さん。」

遺跡発掘現場では、魔法陣がゆっくり縮小を始めている。 守護者たちの 力は限界に達していた。 壱与と大勇が時空の穴に近づき、そこで見送りに来た さくらと小狼に向き合った。

壱与: 「ごめんなさい。 あたし、あたし...」
さくら: 「いいんです。 邪国の皆さんが待ってますよ。 あたし、あなたもみんなも大好きです。」
ホープ: 「あたいも!」

お人形の手を壱与はおずおずと握った。 そして、きびすを返すや、 彼女は連れ合いとともに時空の穴に消えていった。


太陽が現れた。 丘陵のすべてが鮮明に浮かび上がり、湧き上がる霧が辺りを 幻想的に彩った。

小狼: 「帰って来れたんだな。」
さくら: 「うん、これから...」

小狼は、振り向いたさくらを見て仰天した。 彼女は目を閉じ、 待っていた。 彼の心臓は大いに高鳴り、息継ぎが荒くなって、肩を抱く手に 力が入った... が、

桃矢: 「お前らなあ、濡れ場はもうちょっと後回しにしてくれないか?」
さくら: 「ほええええええええーーっ!」

見れば、みんなが注目しているところだった。

歌帆: 「可愛いお二人さん、まだまだ覚えることがたくさんあるはずよ。」

そのとおりだった。


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