太古の娘

作者: deko

第9話: 旅路の終わりに

天宮総業の独身寮にある壱与の部屋で、壱予が鏡の前に座り、彼女の髪を 知世が綺麗にとかしている。

知世: 「本当に綺麗な髪ですね。混じりっけのない黒で、羨ましいですわ」
壱与: 「そうかしら。あなたの髪には負けるけど」

知世の手で壱与の髪に、鮮やかな赤のリボンを結びつけられる。 鏡の中の彼女は、 黒い瞳と切れ長の目と尖った顎を備えた美少女である。

知世: 「本当に、壱与さんは大人びてらっしゃいますから」

壱与は窓の外を見る。 窓の外に見える都市は、夏の日差しを浴びており、 窓ガラスが輝いている。

壱与: ここが、あの子が暮らしていた町。 私には馴染めない異境の地。

窓の外を小鳥たちが、囀りながら飛んでゆく。

壱与: 羨ましい! 私にもあんたたちのような自由が欲しい。 でも...
知世: 「さあ、行きましょう。 今日は第7地区の発掘ですわ。 この間みたいに、綺麗なお墓を見つけてくださいな。」


香港の李家では、過日と同じように、四人の娘たちが方角ごとに陣取り、 中央には夜蘭が一人で立っている。 四人の娘たちが呪文の唱和を始めると、 周囲に強い魔法陣が形成される。 強い気が四人の娘たちから中央の雨鈴に 集中すると、彼女たちの母親は光の柱に包み込まれる。

夜蘭: 「我が息子、小狼の守り形見よ。 汝の失われし主を差し示めさん」

彼女の掌には、黒い玉がある。 その玉が少しずつ光を帯び、目も眩む輝きに 染まるのに時間はかからなかった。 次の瞬間、玉は彼女の元から空中に飛び出し、 光の線を残して消えてしまう。

芙蝶: 「ふう。行った行った」
雪花: 「小狼ちゃん。どこで難儀しているのかしら。 案外、さくらちゃんに肘鉄喰わされてるなんて。」
黄蓮: 「本当、美容に悪いわ。ええっ!お姉様たら。 さくらちゃんに限って、そんなことありませんわ」
緋梅: 「分からないわよ! 案外さくらちゃんの尻に敷かれていたりして...」
雪花: 「しっ! お母様聞いてらっしゃいますわよ。」

だが夜蘭はただ、空を見つめているだけだった。 今の彼女は、一人の子を 想う母親にすぎなかった。


邪国の集落はずれにある大勇の家。

小狼: 「へーーーーーーーくしょい!!!!」

粗末な家を揺るがす衝撃に、梁からネズミが落ちてくる。 その一匹が ホープの上に落ちたから、また大変!

ホープ: 「きゃあああああ!!」
さくら: 「ほえええええええ!!」

さくらの方は、囲炉裏端で調理中に吹きこぼれかかった土鍋を落とし そうになったが、そばで手伝っていたミラーんがかろうじて土鍋をつかんだ。

小狼: 「ごめん。 誰か、噂してるな」
さくら: 「もう! 小狼君たら。 ホープちゃん。もう大丈夫よ。」
ホープ: 「ネズミさん、キライ。キライ。」
小狼: 「かじられたのか?」

再度、家を揺るがす声が聞こえる。 今度は悲鳴である。 梁の上で変な 一家を見ているカードたち。

静 (サイレント): 「静かにして欲しいわ!」
火 (ファイアリ): 「やれーー。やれーーっ」

ホープのキックを喰らったら小狼は、赤いほっぺたを押さえながら食事。

小狼: 「お代わり!」

それを見ながら、ミラーはくすくす笑い、さくらもお椀を口に運びながら 笑っている。 そこへ、外から侍女たちがやってくる。

侍女: 「おはようございます。壱与様」


邪国の水田では、爽やかな風が稲穂を揺らしている。 農夫たちが木の鍬を振るい、 農作業に没頭している。さくらと小狼も手伝っている。 住民総出の草取りである。 その姿を、神殿の高床から麗呼が見守っていた。


夜になって、大勇の家では、さくらが怖い顔をして、にじり寄っている。

さくら: 「こらーっ。 そんなに私の腕信用できないの。」
ホープ: 「だって、知世お姉ちゃん言ってたもん。 さくらちゃんは 裁縫苦手なんですって」

家の隅に追いつめられたホープは、必死になって隙を窺っている。 その身体は、 21世紀で傷を受けたままである。 一方、さくらに手にあるのは動物の 骨から削り出された針で、掌くらい長くて鋭い。

小狼: 「怖いのは解るよ。おいで、ホープ。」

ごく自然に、小狼の腕の中に入ると、そのままホープは捕まってしまう。

ホープ: 「やだやだやだ。 助けてーーお姉ちゃ...ん」

まさしく、前門の狼、後門の虎である。

小狼: 「貸してくれ、僕がやるよ。あれっ?」

ホープはすでに気絶していた。


深夜になって、囲炉裏の火が消えかかっている。 小狼とさくらは暖かい寝具に くるまって安らかな顔で寝入っている。 二人の間には、すっかり直してもらった ホープが、眠っている。 その時、光と闇のカードが降りてきた。

光: 「本当。にぎやかな一家ね」
闇: 「このまま、この世界で暮らしてもいいと思って らっしゃるのかしら。 主様は。」

そこへ、命のカードが降りてくる。

命: 「本当に幸せな一家になりますね」
闇: 「あなたは、男性の属性を与えられているわ。 李外祖は人間の残留思念を 取り込んで、あなた達を創造したのね」
命: 「はい。彼はクロウほどの多様性は持っていませんでしたが、 より深く心の力を凝縮する術に優れていました。」
光: 「帰りたいでしょうねえ。 主様も小狼様もそして、貴方のかつての主も。」


一面の稲穂が小さな花に包まれている水田を、夕陽を浴びて、何人かの農民とさくら, 小狼とホープが見ている。

農民: 「やっと、花が咲きました。 ここまでくればもう一息です、壱与様。」
さくら: 「ほんとう! かわいい花ね、ちっとも気付かなかったわ。」
小狼: 「学校で習わなかった?」
さくら: 「しっ!! (口に指当て)」
農民: 「稲が実ったら実ったで、今度は収穫後のことが心配です。 隣の 狗国の馬鹿どもが。」
侍女: 「今年は天気に恵まれたから、攻め込んではこないかな」
農婦: 「うんにゃ! 狗国の馬鹿王は底なしの欲張りです。 壱与様! 今年こそは 彼奴らを叩き出して、あっちの方をわたしらで頂きましょうね」

さくらは困った顔。 ここの人たちは戦いと農作に同じように通じているのだ。

さくら: 「私は反対よ。 傷つけ合って何の意味があるの」

心底ビックリ顔の一同。 彼らには思いもつかない発想らしい。

侍女: 「壱与様、本気ですか。 大勇さんも傷が治ったことですし、 明日から戦 (いくさ) の教練が始まるそうですよ」

さくらは小狼とホープを連れて歩き出す。 残った侍女や農婦たちのヒソヒソ話に 付き合いたくないらしい。

小狼: 「小さな争いが、米の伝来に伴って頻繁に起きるようになった。 学校で 習ったろう。」
さくら: 「知ってるわ。 あの子 (侍女) も去年は、戦いに参加して... 私も、いえ壱与さんも参陣したらしいわ。 この世界は争いを抜きにしては、 有り得ないの? 生きてゆけないの? そんなのおかしいよ!」

二人の後ろから、突風が吹き抜ける。 乱れる髪も、彼女の沈痛な想いを 反らすことができない。

小狼: 「さくら。」

小狼はさくらの亜麻色の髪を優しく撫でた。

小狼: 「僕たちだけで暮らしているんじゃない。 求められるのなら、 俺も戦う。 でも、俺はさくらとみんなのために戦う。 平和な世界でも、ここでも。」
さくら: 「小狼君! もう、あんな思いしたくない。イヤよ」

首を振り、嫌な想いを振り払おうとする少女を、男の子は守るように 抱きしめていた。


麗呼: 「小狼さんが参陣することは許しません! 私から戦士隊長に よく言い聞かせますから、安心なさい。さくらさん」

神殿内の祈祷所で、麗呼の言葉を聞き、さくらはほっとしたように 胸をなで下ろす。 笑顔が蘇り、あわてて横にいるホープの襟首を 持ち上げる。 お人形は籠にしがみついていた。

麗呼: 「それは、私へのお土産?」

さくらの持ってきた籠には、いろんな山の幸が入っていた。 山葡萄や アケビ、キノコ、栃の実に栗など。

さくら: 「この時代は、秋が早いんですね。 この子ったら大活躍でした。」

羽根が使えるホープの滞空に、麗呼も微笑む。

麗呼: 「一緒に食べましょう! 壱与も私の好物をよく、採ってきてくれたわ」

見事に実っているアケビをホープから受け取る麗呼は、まるで子供のように はしゃいでいる。 そこへ、戸が開け放たれ、侍女が入ってきた。

侍女「壱与様!大勇が、早く中庭にきてください!!」


堂々たる体格の戦士が、中庭で自慢げに剣を振りかざして悦に 入っている。 彼の足下では小狼が、平伏を強いられている。 そばには、 銅製の剣がある。

戦士: 「どうした、大勇。せっかく傷は治ったのに、肝っ玉は 戻らなかったらしいな」
小狼: 「く、くそーー」

そこへ、奥からさくらと麗呼が駆けつけてくる。

麗呼: 「お止めなさい! 怨恨にもとる私闘は禁じているはず。 隊長!」
隊長: 「怨恨ではありません、陛下。 これは訓練です。 こいつはまるで 別人ですよ」
さくら: (小声) 「別人?」
麗呼: 「あの男です。大勇を斬ったのは」
さくら: 「なんですって!!」

さっきまでの平和主義はどこへやら、懐から 「雷」 と 「弓」 のカードを 取り出している。

麗呼: 「いけません!」
ホープ: 「おねえちゃん! 落ち着いて... あらっ?」

遙か天空から、線を描いて小さな物体が小狼の目の前に到着する。 到着と 同時に目も眩む光輝を発し、斬りかかった剣士をは目を覆う。

小狼: 「こ、これは。李家の玉」

すぐさま、玉を掴む小狼。 念力が働き、剣が実体化する。 呆気にとられ、弾き飛ばされた戦士が、体制を立て直し、向かってくる。

小狼: 「風華招来!!」

彼の念力に応えて、李家の魔法札が現れ、剣の力が解放された。 剣の巻き 起こした猛烈な風に、戦士は弾き飛ばされる。

ホープ・さくら: 「かっこいい! 素敵!!」

さくらは将来の旦那様の勇姿に見とれ、麗呼がしゃがみ込んだのに気付かなかった。

侍女: 「女王様。 壱与様!」

騒然となる一同。


友枝丘陵の発掘現場では、知世と壱与が、コテを持って、グリッドの中で 発掘に従事している。

知世: 「壱与さん! 何か出ました。」
壱与: 「どれどれ... はっ!」

そこにあったのは、眉間に穴を開けられた頭骨だった。

壱与: 「争い。 争って人が... いやあああああ!!!」
知世: 「壱与さん! 貴方の頬! 頬に...」

黒髪の少女の頬に、ぼんやりとした影が浮かび上がっていた。


邪国の神殿祈祷所では整えられた夜具の中で、麗呼が眠っている。 そばには、 心配な人々がいる。

さくら: 「皆さん、今日は休んでください。私たちが見守りますから」
隊長: 「しかし、壱与様。」
さくら: 「大丈夫です。大叔母様のお世話は私の役目ですから」

心を残しながら、退室する人々。 残ったのは、小狼とホープ、そして、 天井に展開しているさくらカードたちである。 その中から、ミラーが 降りてきて、実体化した。

ミラー: 「お手伝いします」
さくら: 「ありがとう。 そこのお水、お願いね。」

さくらは老女の汗まみれの顔を拭くと、彼女の頬に黒ずんだ入れ墨を見つける。 同時に、麗呼が目を覚ました。

麗呼: 「この入れ墨は、神職の証。 さくらさん。そろそろ、私も旅の用意ね」
さくら: 「ど、どこへいらっしゃるのですか」
麗呼: 「永い。永くて、終わることのない... 旅路よ」

小狼は理解した。 目の前の安らかな、豊かな微笑みを浮かべているのは、 死期の迫った老女なのだ。

麗呼: 「貴女が羨ましい、壱与の気持ちが分かるわ。 だから、 私のお願い。 決してあの子を恨まないでね」
ホープ: 「あのお姉ちゃん、ホープを虐めたけど。 ほんとうは 優しいお姉ちゃんよ」
さくら: 「...」
麗呼: 「可愛いお二人さん。 もう少しの我慢よ... 頑張ってね...」
さくら: 「待ってください、どうして、どうして壱与さんの気持ちが 分かるんです!」
小狼: 「さくら!」

麗呼は閉じかけた目蓋を開け、懸命になって言葉を出そうとしていた。

麗呼: 「愛... つ、連れ合いが... 私は、神職は... 独り身で なければならないから... よ。」
さくら: 「そ、そんな!」
麗呼: 「いいのよ。 しっか... りね...」

それが麗呼の最後の言葉だった。 次の瞬間には、彼女は痛みも感情も ない世界に旅立っていた。

さくら: 「おばあさま!! おばあさまーーーーっ」

彼女の声とともに、祈祷所の中を、様々な物の怪のうなり声が 黙礼した。 それの声は、あまりにも、もの悲しく、邪国の人々に 女王の死を知らせることとなった。


21世紀、友枝町総合病院ERに運び込まれた壱与が、ベッドで眠っている。 病室の向こうには急を知って駆けつけた人たちがいる。

麗呼: 「壱与...」

壱与は、はっとなる。 それだけで、彼女には十分だった。 頬の入れ墨が はっきりとした形となっていた。


次回予告: 収穫の祭り



閉じる